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『「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』

『「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』
寺沢 拓敬
2015/1/17、研究社、¥2,808(L)

日本人は英語が世界一下手、英語ができれば給料が上がる、英語ができればいい仕事につける、など英語について日本で広く言われてきたことのほとんどに客観的な裏付けがないことを統計的手法により明らかにする。今までの英語に関する言説とは一線を画す刺激的な本。

▲「日本人と英語」をめぐる先行研究の大多数が、広い意味での事例研究である。それらは日本社会の一部のグループに焦点化した研究であり、英語に大した思い入れのない大多数の「無関心層」がこぼれ落ちている。そのため、過度にバイアスがかかった「日本人と英語」論を生み出しかねない。(p.4)

●「英語使用ニーズの増加」という説明は少なくとも日本社会全体には決して当てはまらない。むしろこの説明は、英語を重要視する少数の例外的な企業の動向を日本社会の平均像と誤認してしまった結果だと考えられる。
 実態と乖離しているにもかかわらず、この言説はなぜこれほど良く浸透しているのだろうか。その最も判り易い説明が、「ビジネス界にとって『英語ニーズの増加』という前提を受け入れておくのは都合がいい」というものだろう。[略]
 「英語使用ニーズの増加」言説は、実態を正しく反映していないだけでなく、ビジネス界や政府の特定の利益にかなうものですらあり、その点で、イデオロギーとしての性格が強い言説である。(p.190)

●事実でないにも関わらず、英語を巡る誤謬はなぜひろく浸透するのか、言い換えれば、なぜ一部の英語話者・英語学習者の行動・態度は増幅され、英語熱や英語ニーズは過大に見積もられるのか、その原因として以下の3点が考えられる。

 第1に、英語熱や英語ニーズは多めに見積もれば見積もるほど利益を生むという点である。[略]
 ☆語学関連の商品・サービスが売れる

 第2に、英語熱・英語使用ニーズを過大に見積もってしまう仕組みが、英語使用者や英語教育関係者のソーシャルネットワークー要は人脈ーに埋め込まれている。[略]
 ☆英語教育関係者・英語使用者の周りは「英語が必要な人」ばかりなので、英語使用ニーズが過大に評価される。[略]

 第3が、「日本人」を一枚岩的に捉える思考様式である。
 ☆本来、客観的には同質性が低い日本人を一枚岩に捉え、英語を日本人と異文化を橋渡しするものとして考え、外国語教育関係者が自らそのイメージを生産・流通させている。(pp.257-258)

●どのような自衛策をとれるのだろうか。[略]
(1)英語言説が誰の利益(たとえば語学業者や政治家の利益)なるかに注意を払う。
(2)関係者(たとえば英語教師)の間で流通している「日本社会のイメージ」には大きなバイアスがかかっている可能性を考慮する。
(3)「日本人論」批判に関する多数の文献を参考にし、「日本人」を一枚岩的に捉える議論を疑う。(p.259)

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