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『親不孝通りディテクティブ』

『親不孝通りディテクティブ』
北森 鴻
講談社文庫、2006/8/12、¥637(BO360)

福岡中洲で屋台を営む鴨志田鉄樹と、結婚相談所の調査員・根岸球太の元に様々な事件がふりかかる。『親不孝通りラプソディー』の「現在」から数年前の設定で、数編の作品をまとめたもの。最後にテッキがなぜ失踪しなければならなかったかの謎が解かれる。

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『深淵のガランス』

『深淵のガランス』
北森 鴻
文春文庫、2009/3/10、¥617(BO360)

銀座の花師・佐月恭壱は絵画修復師でもあり、決まった仲介者(多分冬狐堂)からの仕事しか受けない。本書は三編を納めている。

 深淵のガランス:北条真弓は、祖父長谷川宗司の遺作を管理している。ある絵画の修復を依頼された佐月は、表面の絵の裏に、もう一つの作品が隠されていることに気づく。それは長谷川宗司が留学中とされていた時期に日本で描かれた絵で、表に出すことのできない作品だった。表題作だけあって、謎の建て方も優れていて、引き込まれる。
 血色夢:佐月は、岩手県雫石の旅館の主人多田から、未発見の洞窟絵画の修復を依頼される。謎多き権力者朱大人の企で、冬狐堂も絡んで別の分割絵画の争奪戦に巻き込まれる。事件のプロットがやや複雑ではあるが、整理して読むとよく判る。
 凍月:留学から帰国したばかりの佐月は、父が修復した絵画のクリーニングをする。そこに父が込めた謎が浮かび上がる。若い頃の佐月のある種の初々しさがよく描かれている。

いつもながら、すぐに世界に引き込まれ、最後まで気持ちよく読んだ。

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(日本人)

(日本人)
橘 玲
幻冬舎文庫、2012/5/11、¥788(L)

一般に流布している「日本人は武士道に基づく精神性を持ち、西欧とは違っている」といった言説は、実は事実と異なっており、本来の日本人は徹底して世俗的である、という本。
著者が信奉する進化心理学に基づいた説は身もふたもない(人間は動物であり、生存に有利な遺伝子を持つものが残り、不利な遺伝子を持つものは淘汰される)ものだが、大変説得力があった。

●ヒトは社会的な動物で、集団が亡くなってしまえば生きていけないのだから、アイデンティティというのは集団(共同体)への帰属意識のことだ。「私」とは「奴ら」に対する「俺たち」のことで、「敵」を生み出すのはヒトがヒトであるための定義ともいえる。
 私たちが遠い祖先から受け継いだプログラムは、世界を内側(俺たち)と外側(奴ら)に分け、仲間同士の結束を強め、奴らを殺して貴重な資源(女)を奪うためのものなのだ。(p.109)

▲日本人の特徴と考えられてきたものは、「人間の本性」と「農耕社会の本性」で説明でき、それは世界の農耕社会に似ている。(p.130)

●日本には、「空気=世間」のほかに、「水=世俗」という原理がある。「水を差す」とは、「空気の支配」に対して世俗の原理をぶつけることだ。「そんなことやったって、しょせん損するだけだ」といわれたとき、それまでの盛り上がっていた議論は水を差され、現実(世俗)に引き戻される。(p.170)

●日本では、人間関係は"場"から生まれる。"場"を喪ってしまえば、私たちは孤独に戻っていくしかない。(p.187)

●古代ギリシアの民主政とは、加入も退出も自由なオープンな社会が、共同体の構成員に自らの意志で国家と神への忠誠を誓わせ「富国強兵」を目指す政治=軍事制度だった。これは地中海という特殊な地域にのみ生まれた社会の仕組みで、退出可能性のない農耕社会でデモクラシーや弁論術が育たなかったのは当然なのだ。(p.217)

●グローバル化というのは、ひとびとの欲望や正義感情に寄って、グローバル資本主義とリベラルデモクラシーが世界を覆っていく永久運動のことだ。(p.267)


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『“ひとり出版社”という働きかた』

『“ひとり出版社”という働きかた』
西山 雅子
河出書房新社、2015/7/24、¥1,836(amazon)

タイトル通り、主に一人で立ち上げた出版社を運営する人たちを取り上げ、苦労や喜び、出版の将来に対する考え方などをインタビューしてまとめた本。出版や本に対する愛や情熱を感じられた。

丁寧に作られたことがわかる本で、読んでよかったと思える本。また、書中、ゆめある舎の詩集「せんはうたう」はぜひ購入したいと思った。

●試行錯誤していた安永 [朋子、小さい書房] さんに、「カステラの法則」という言葉を教えてくれた編集者の友人がいた。貸すtらが好きだと言い続けていると、人からもらったりして自然と手に入る。自分の欲しいものや目指すことを口に出していれば、チャンスは向こうからやってくる、という意味だった。おかげで立ち上げから一年半後、第一作目『青のない国』の刊行に、なんとか漕ぎづけた。(p.21)

●僕の場合、転機はいつも、人に言われるがままを受け入れることで、訪れるように思います。(サウダージ・ブックス 浅野卓夫、p.139)

●もう一つ考えているのは、紙の本の次の可能性は何か、ということです。僕[浅野] は、電子メディア的なものだとは思わないんですよ。紙の本を読む時間は誰かと共有することが難しいし、他人や日常と切り離されることで、一人の時間が深くなる。孤独の深まりの中で、今個々ではないべつの時空からやってくる声と出会う場を提供する「切れて、つながる」メディアです。近年のSNSをはじめ、どこまでも「切れることのないつながり」を実現するためにある電子メディアとは、まったくコミュニケーションの役割が違う。だから、そのまま移行するとは思えないんです。(浅野、p.157)

▲「稀人舎」というひとり出版社が、ISBNの取り方から流通の仕方までブログに書いていたことを参考にした。(タバブックス 宮川真紀、p.211)

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『「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』

『「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』
寺沢 拓敬
2015/1/17、研究社、¥2,808(L)

日本人は英語が世界一下手、英語ができれば給料が上がる、英語ができればいい仕事につける、など英語について日本で広く言われてきたことのほとんどに客観的な裏付けがないことを統計的手法により明らかにする。今までの英語に関する言説とは一線を画す刺激的な本。

▲「日本人と英語」をめぐる先行研究の大多数が、広い意味での事例研究である。それらは日本社会の一部のグループに焦点化した研究であり、英語に大した思い入れのない大多数の「無関心層」がこぼれ落ちている。そのため、過度にバイアスがかかった「日本人と英語」論を生み出しかねない。(p.4)

●「英語使用ニーズの増加」という説明は少なくとも日本社会全体には決して当てはまらない。むしろこの説明は、英語を重要視する少数の例外的な企業の動向を日本社会の平均像と誤認してしまった結果だと考えられる。
 実態と乖離しているにもかかわらず、この言説はなぜこれほど良く浸透しているのだろうか。その最も判り易い説明が、「ビジネス界にとって『英語ニーズの増加』という前提を受け入れておくのは都合がいい」というものだろう。[略]
 「英語使用ニーズの増加」言説は、実態を正しく反映していないだけでなく、ビジネス界や政府の特定の利益にかなうものですらあり、その点で、イデオロギーとしての性格が強い言説である。(p.190)

●事実でないにも関わらず、英語を巡る誤謬はなぜひろく浸透するのか、言い換えれば、なぜ一部の英語話者・英語学習者の行動・態度は増幅され、英語熱や英語ニーズは過大に見積もられるのか、その原因として以下の3点が考えられる。

 第1に、英語熱や英語ニーズは多めに見積もれば見積もるほど利益を生むという点である。[略]
 ☆語学関連の商品・サービスが売れる

 第2に、英語熱・英語使用ニーズを過大に見積もってしまう仕組みが、英語使用者や英語教育関係者のソーシャルネットワークー要は人脈ーに埋め込まれている。[略]
 ☆英語教育関係者・英語使用者の周りは「英語が必要な人」ばかりなので、英語使用ニーズが過大に評価される。[略]

 第3が、「日本人」を一枚岩的に捉える思考様式である。
 ☆本来、客観的には同質性が低い日本人を一枚岩に捉え、英語を日本人と異文化を橋渡しするものとして考え、外国語教育関係者が自らそのイメージを生産・流通させている。(pp.257-258)

●どのような自衛策をとれるのだろうか。[略]
(1)英語言説が誰の利益(たとえば語学業者や政治家の利益)なるかに注意を払う。
(2)関係者(たとえば英語教師)の間で流通している「日本社会のイメージ」には大きなバイアスがかかっている可能性を考慮する。
(3)「日本人論」批判に関する多数の文献を参考にし、「日本人」を一枚岩的に捉える議論を疑う。(p.259)

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『瑠璃の契り―旗師・冬狐堂』

『瑠璃の契り―旗師・冬狐堂』
北森 鴻
文春文庫、2008/1/10、¥596(amazon500)

冬狐堂シリーズの短編第二弾。本作では、骨董を主題にした謎解きはあるものの、もう少し人間に重点を置いた作品集という趣。

1.倣雛心中(ならいびなしんじゅう):網膜剥離の恐れのある飛蚊症と診断された陶子のもとに、何度売っても戻ってくる和装女性の人形が持ち込まれる。人形を見る角度で表情が変わることが原因であることを突き止めた陶子は、対になる人形があるのではないかと考える。

2.苦い狐:学生時代に夭折した同級生の画集が復刻されて陶子の元に届く。送り主が誰かを探るうち、なぜ復刻されたかの謎が明らかになる。

3.瑠璃の契り:出張先の小倉で瑠璃硝子の切り子碗を見つけた陶子。それを友人のカメラマン硝子に見せると顔色が変わる。切り子碗の謎を追ううち、作者が三個だけ製作して後二度と切り子碗を作らなかったことがわかる。実は硝子は彼に思いを寄せていた。

4.黒髪のクピド:硝子の元主人Dが失踪する。彼を追う陶子の前に現れたのは黒髪の生き人形だった。明治時代の日本にはないと言われていたビスクドールだと判明した人形は、実は作者が仕えていた富豪の夭折した一人娘だった。実は彼女が殺され、富豪の家が現在の当主に乗っ取られたのではないかと推測するが、Dを陥れた一味の二人が殺される。

どれもとても面白く、一息に読んだ。特に「苦い狐」での学生時代に自分の才能の限界を同級生に思い知らされた陶子の心の揺れは、とても胸に迫る。また、その最後の場面で、実は同級生が病院で描いた黒の中にぽつんと浮かぶ赤い光が、陶子が浜辺で自分の絵を燃やした火の色であったことを明らかにする場面は出色。

●漆黒の闇に浮かぶ四つの炎が、深苗[みな]の想像力を刺激することを願った。闇にきらめくさざ波で線を想起し、炎が点にイメージされますように。独特の匂いを放ちながら焼けこげてゆく燃焼物を見ながら、陶子は深苗のことを思い、そして二十代のいっときを賭けたものへの決別を告げた。
 燃焼物。
 卒業に必要な一点をのぞいた、すべてのカンバスが燃えてゆく。未来の大作と信じて疑わなかった油絵の数々が、ただの灰になってゆく様を、深苗は見つめ続ける。
 その炎の色が、タクシーの中で今しも眠りに就こうとする深苗の瞼の裏に、はっきりとよみがえった。(p.98)

☆読者に瞼の裏にもはっきりと映るような描写がすばらしい。


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『超したたか勉強術』

『超したたか勉強術』
佐藤 優
朝日新書、2015/4/13、¥821(吉田書店大島)

イギリスの中等教育で使われる歴史教科書を題材に、物事をいかにとらえ、整理していくかを学ぶ本。

イギリスの歴史教科書は自らの帝国主義を隠すことなく、植民地からの視点ではなく、徹底的に宗主国としての立場から生徒に考えさせ、帝国主義がいかに失敗していったか、そしてそれを将来にどのように活かすか、ということを学ばせる。その中で、教科書は物事を断定せず、必ず両面で考える問いを出すことによって多様な物の見方を培い、イギリスの歴史というものを体得させていく。

イギリス教育におけるディベートが、ディベートとしてでなく、教科を学ばせるために使われるということに、日本の教育の今後の方向性を見ることができる。

●[歴史教科書の] 設問が興味深いのは、「たとえあなた自信がこの考え方に同意しなくても、そのようにしてください」と要求しエチル琴だ。抑圧者、被抑圧者の立場を換えて、双方の論理を追体験させようという構成になっているのだ。
 日本でも大学の専門教育やディベートの授業等では個々人の賛否は留保して上で、それぞれの立場から論証するという方法がとられているが、イギリスでは中等教育の段階から、こうした多角的な思考のトレーニングが行われている。
 こうした訓練を繰り返し行うことで、自分なりの態度や考えを決めるためのプレゼンテーション力が強化され、問題へのアプローチが複数あることを気づかせ、より柔軟で適切な選択ができるようになるのだ。
 日本を生活の基盤にする私たちが学ぶべきは、この教科書に書かれたイギリスの帝国主義の歴史そのものではない。課題設定やディスカッション、演習を通して得られる「思考の技術」なのである。(pp.69-70)

●[シャルリーエブド襲撃犯は、] 投降した上で裁判闘争を展開するつもりだったのではないかと推測できる。しかし、フランス当局は、逮捕して背後関係を解明するメリットよりも、公判をテロリストの宣伝の場にするデメリットの方が大きいと判断したのであろう。治安部隊は現場で犯人を射殺した。死刑制度がない国では現場で超法規的な死刑を行うことがあるが、今回のケースがそれに該当すると見ていい。(pp.221-222)

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『ジャイロスコープ』

『ジャイロスコープ』
伊坂 幸太郎
新潮文庫、2015/6/26、¥594(吉田書店大島)

今まで読んだことのない作者を開拓してくて手に取った。初伊坂幸太郎。デビューしてから15年の間に発表された短編をまとめた作品集だが、最後の一篇でまとまりがつくようになっている。

本書には黄色のスピンがついていて、最近の文庫にはついていない本が多いから、うれしくなった。伊坂の作風は本書だけではつかめないが、本書中「彗星さんたち」のスタッフたちに向けたまなざしが暖かく、おそらく他の作品も面白いのだろうと思った。

1.浜田青年ホントスカ:蝦蟇倉市にやってきた浜田青年は、スーパーホイホイの駐車場で相談屋を営む稲垣さんに助手を頼まれる。一週間後、実は本当の浜田青年はすでにこの世になく、ここにいる浜田青年は殺し屋で、その事情を知っていた稲垣さんも殺しにやってきたのだった。

 最初はほんわかしたいい話なのかと思ったら、途中から雲行きが怪しくなり、あれよあれよというまに殺人の話になってしまい、びっくり。

2.ギア:なぜか荒地になってしまった日本で、ワーゲンワゴンに乗り合わせた蓬田は、運転手からセミンゴという不思議な生き物の話を聞く。次第にそれが日本をこんな風に破壊したのだとわかってきたそのとき、ワゴンの後ろからセミンゴの大群が迫る。

 超現実的な幻想小説風で、まったく事情がわからないうちに追いつめられる緊迫感のある一篇。

3.二月上旬から三月上旬:学校になじめない慈郎は、坂本ジョンという他学区に住む少年と友達になる。ジョンは振り込め詐欺のようなことをしており、仕返しをされる際、慈郎も瀕死の重傷を負う。本篇中では毎日の日記風だが、実は12年おきに起こったことが描かれており、最後の日には慈郎は死の床についている。

 これも幻想的な小説で、主人公が統合失調症なのでは、と思わせる描写が続き、最後までつじつまは合っているようなあっていないような一篇。

4.if:バスジャック犯にバスを降りるよう命じられ、女性客を残したまま降りたことをずっと後悔していた山本は、20年後にその後悔を取り戻すチャンスを得る。

 時間の繰り返しと思わせて、20年後とわかる設定が面白い一篇。

5.一人では無理がある:クリスマスプレゼントを恵まれない子供に配る会社があって、トナカイたちを操ってクリスマスの夜配る仕事をしている。おっちょこちょいの松田は、いつも配る物を間違えるが、実はその間違えた物こそその子供に必要な物だ、という特殊な能力を持ってる。ストーカーに教われた主婦は、間違えて配達された鉄板を借りて、ストーカーを撃退する。

 普通にいい話。

6.彗星さんたち:新幹線の清掃スタッフの人生を見つめた一篇。一本の新幹線に残された物や、スタッフが出会った乗客たちが、実は脳溢血で倒れ入院している女性スタッフの人生そのものなのではないか、という妄想を彼らが話し合う。

 パウエル元国務長官の言葉が多く引用され、人生のいい話、といった趣。本作の中で一番面白かった。

7.後ろの声がうるさい:東京行きの新幹線はやぶさに乗った私は後ろの席で交わされる会話に耳を傾ける。実は一人は相談屋の稲垣らしき人物で、もう一人は会うことを許されない息子だった。そして稲垣らしき男は、小学生の頃どこから届いたかわからないクリスマスプレゼントを受け取っていた。入院から戻った清掃スタッフ鶴田は、稲垣の残した手紙を読み、遺失物として処理する。

 細かく見れば、全ての短編に結びつくのだろうけれど、さらっと読んでしまったので、すべてのつながりはわからなかった。ただ、うまくまとめたな、という印象。

●「ある結論が出て、取りまとめる直前に、細かい追加条件を付け足せば、たいがい呑んでもらえるんですよ」と後で稲垣さんが教えてくれた。(浜田青年ホントスカ、p.27)

●鶴田さんはそこで顔を引き締めた。「ねえ、こういう言葉知ってる?」
「どういう」
「『常にベストをつくせ。見る人は見ている』って」[略] 「これね、パウエル国務長官の言葉」鶴田さんは少し顔のこわばりを緩めた。(彗星さんたち、p.207)

●[鶴田さんが謳っていたのは、メリーポピンズの歌で]「ちょっと砂糖があるだけで、苦い薬も呑めるのよ。どんな花にも蜜がある、楽しみ方を見つければ、つらい仕事も楽しくなるの」とそういった内容だ。(彗星さんたち、p.223)

●冷静であれ、親切であれ。(パウエル長官の言葉、彗星さんたち、p.234)

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