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『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』

『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』
竹田恒泰
PHP新書、2011/9/29、¥756(八重洲BC)

日本の歴史教育が、日本を貶めてあえて教えない日本の歴史について、その成り立ちを神武天皇に遡って解説する。神話は神話として尊重し、「日本史」ではなく「国史」を教えるべきことについて述べ、古代から律令国家成立までの歴史について解説する。

「建国記念日はそもそも何の日か」など、知らないことも多く、勉強になった。

●連合国が日本を占領した目的は一つしかない。それは、日本が将来に亘って二度と連合国に編む買うことがないように「日本を骨抜きにすること」である。連合国は財閥や軍を解体したばかりか、日本人と神道の関係を断ち切り、建国と神話の教育をやめさせ、日本人の心の中から日本人の精神を抹消しようとした。(p.38)
●占領軍のやり方は巧妙だった。もし占領期間中に徹底して日本が解体されたなら、一億の日本人が竹槍を持って戦っただろう。天皇が廃止され、日本中の神社が解体され、あらゆる歴史的な資料や遺物が破壊されるのを、日本人が指をくわえて眺めることはなかったはずだ。そこで占領軍は百年がかりで日本を解体しようとしたのではないか。(pp.38-39)
●占領軍は的確にいたいところを突いてきた。神話教育をやめさせたのは、すでにそれだけで、ゆっくり時間をかけて民族を滅亡させることになるからだ。これは、日本民族が百年殺しの刑にかけられたようなもので、危機が迫っていることに気づくことすら難しい。(p.39)
●現在の日本では、神話は非科学的なものとして、学ぶに値しないものであるかのように扱われている。しかし、それが近代国家の作法と思ったら大間違いである。近代合理主義の成れの果てとも思えるアメリカですら、ギリシア神話や聖書を軸としたキリスト教神話の教育を徹底している。(p.39)
●日本における神話の中心を担うのは『古事記』『日本書紀』である。そもそも記紀は、初代天皇の即位で国が成立したことの経緯を記し、建国の精神を後世に伝えていくために約千三百年前に完成した、国家が編纂した我が国最古の歴史書である。したがって、記紀を封印することは、おのずと、建国の歴史を風化させ、建国の精神を失わせることを意味する。(pp.39-40)

☆若干陰謀論めいているが、確かに古事記や日本書紀の概要程度は日本人の常識として知っておくべきだろう。自分もよくわからないので。

●記紀が国家により編纂された点は、重要な意味がある。記紀は個人が任意に書いたものと違い、最も公式な文書であって、そこに書かれていることは当時の政府の公式見解であることを意味するからだ。そして、現在の政府も『日本書紀』の見解を踏襲している。
 当時の政府は現在の政府とまったく別物だと思う人もいるだろう。しかし、記紀を編纂した七世紀当時の政府から現在に至るまで、我が国は一度も王朝交代を経験したことがない。[略] 古墳時代から現在の日本に至るまで、天皇の任命なくして太政大臣、関白、将軍、内閣総理大臣など、政治の最終責任者の地位に就いた者は一人もいない。もちろん、明治維新前後や終戦前後で統治機構を変更してきたが、国家の連続性が途切れたことは一度もないのである。(pp.44-45)

☆言われてみれば確かにその通りで、まったく意識していなかった。

●ところで、日本が他国から朝貢を受けることがあったことについてもふれておきたい。高句麗滅亡後にその遺民である大祚栄(だいそえい)が698年に建国した渤海は、唐・新羅と対立していた時期に、これらを牽制するために日本に聴講するようになった。当初は軍事同盟の性格が強かったが、渤海と唐の関係が改善すると、渤海使は文化と商業の色彩を強めたものの、日本への朝貢の形式は最後まで残った。朝貢であるため、日本は何倍もの回賜を与える義務があり、途中から朝貢の頻度を十二年に一度に制限し、渤海が滅亡する926年まで約200年間続けられた。
 そして、『随書』倭国伝には、新羅と百済が日本に朝貢した記録があり、これは『日本書紀』の記述と一致するため、史実と考えられる。また、百済が滅亡し、唐の勢いを恐れた耽羅国(たんらこく)が7世紀に日本に朝貢した記録が残っている。耽羅国は済州島にあった国である。(pp.156-157)

☆まったく知らなかったので驚いた。

●日本の国の成り立ちは世界的に特殊である。日本列島に成立した一地方政権が、徐々に領域を拡大して、やがて日本列島の大半を整備するようになり、最初は中国の冊封を受けていたが、国家としての自立性を高めていき、やがて中国の冊封を受けなくなり、独立した国家としての地位を固めていったのである。どの段階で国家の体をなしたと考えるかは、国家の定義の問題であって、日本の歴史の問題ではない。(p.160)

☆日本がいつ国家を成立したかを確定するのが難しい理由。

●「愛国」というと右翼と思われる昨今だが、愛国は中道であって、なにも右翼のものではない。世の中全体が左に傾いているおかげで、中道のことを言うと、右翼と思われてしまうようだ。これだけ物のあふれる自由で豊かで安全で、しかも文化の香りの高い社会に暮らしていて、国を愛して何が悪いのか。むしろ、これだけの大きな恩恵を受けていながら、国を愛さないほうがおかしいと私は思う。(pp.164-165)

☆同意。

●日本人の精神的気質の根柢には日本人の価値観がある。そして、価値観は主に1)自然観、2)死生観、3)歴史観の三つの柱によって構成されている。歴史観は日本人の精神的気質を構成する柱の一つであり、決して失ってはいけないものである。日本の独立自尊のために、現代日本人は日本の国の成り立ちと、それを守ってきた先人たちの努力を知っておくべきだろう。(pp.238-239)

☆本書の主題。


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『やっぱり見た目が9割』

『やっぱり見た目が9割』
竹内一郎
新潮新書、2013/7/20、¥735(八重洲BC)

『人は見た目が9割』の続編。野生の勘はいつも必要で、言葉に頼らない非言語情報が重要であると主張する.第一印象がいかに重要か、言葉がいかに無力か、少なくとも外見に気を配って悪いことはない。

●[ディズニーとは違い] 手塚氏は大胆なコストカットを図り、リミテッド・アニメスタイルを押し進めた。具体的にはストップ・モーションを多用し、三十分アニメを、千数百枚のセル画で済ます、という方法である。テレビでアニメを見てみればわかるが、日本アニメの登場人物たちは実はあまり動いていない。これは手塚氏以来の伝統である。賛否はあるものの、この方法があったからこそ破格に安くアニメを制作でき、『鉄腕アトム』等が毎週放送できたのである。[略] 動かないという欠点を、手塚氏は感情表現だけでカバーしたわけではない。さらに「物語の面白さ」で補おうとした。[略] ジャパニメーションで暑かった題材には、他にも近未来物や無国籍風のファンタジーが多かった。登場人物たちの名前もカタカナで特殊なスーツを着ていることが多いことも会って、ハリウッド映画風の説明的な身振り手振りに違和感もなかった。そのため、どの国の言葉で吹き替えてテレビ放映しても違和感がない、というのも強みになった。「ローコンテクスト化」に成功した、という言い方をしてもよいだろう。(pp.83-84)

●手塚氏を尊敬する一人ではあるが、ちば氏自身は独立独歩のタイプである。先輩漫画家の影響を受けていない、という彼の出自が独自の方法を編み出したのである。[略] 実は、ちば氏を源流とする「ハイコンテクスト派」の漫画家たちには、二つの大きな特徴がある。一つは、国内でコミックが売れる。二つ目はファンに長く愛され続ける。(p.87)

☆日本の漫画にはハイコンテクストとローコンテクストの二種類があることの説明。

●日本語は、漢字仮名まじり文を使う。[略] 現代の日本人にとっては、漢字が多すぎても仮名が多すぎても、読みづらい文章に見える。漢字(絵)と仮名(文字)の配合を、「勘どころ」で決めて文章を書いているのである。「さじ加減」という感覚を誰に教わることなく身に付けている。[略] 「絵と文字を組み合わせて、受け手にセンスを感じさせる」という感覚は日本人特有のものではなかろうか。[略] その特殊性が漫画を作る上でおおいに役立っている、というのだ。(pp.89-91)

☆同じアニメを作っても、日本人と外国人でキレの良さがまったく違うことの理由を考察。

●本人が意識している場合もあれば、無意識の場合もあるとは思うが、スターや一流選手の場合、姿、声、動き等々、いくつものポイントが「異形」であることが多いのである。
 このように考えていくと、その人が発する「非言語情報」の総合力が一定の値を超えている時、「受けてはオーラを感じている」と考えてよい。(p.100)

☆スターの洗練された仕草、いつも腹から力を入れて出している声、など一般人と違うポイントが多ければ多いほどオーラが出る、という主張。

●人は着ている服にだんだん染まっていく。そういう面は確かにある。もちろん、吹くだけが「人となり」をすべて決めることはないが。[略]
 制服にはそれ自体にステイタスがある。だから、異性から見ても、魅力が上がるのはうなずける。しかし、服だけでそう見えるわけではない。服を変えると着る側の心構えも自ずと変わってくるのである。(pp.117-118)

☆服装には気をつけること。相手の評価がまったく変わる。

●私たちは、直感的に姿勢がよい人に好感を持ち易い。その根本の理由が何であれ、姿勢を良くして損はない。(p.136)

☆姿勢は口ほどに物をいう。

●同じ話でも、表情があるのと表情がないのとでは、伝わり方に雲泥の開きがあることがわかる。(p.152)

☆話し手も、聞き手も、表情があるとコミュニケーションがうまくいく。授業など人の話を聞くときは、うなづきながら聞くと話し手は話しやすくなる。

●面接は一瞬で決まる:就活本の中で評価の高い杉村太郎著『絶対内定2014』に、こんな一節がある。
「ウソみたいな話だけど、業界によらず、人事採用担当の友人たちが皆、口を揃えていうことがある。『こいつはいいなと思う学生は黙っていても浮き上がって見える』『面接室に入った瞬間の第一印象が、そのまま結果に結びつくことが多い』」
 杉村氏は、彼の考えたメソッドで就職準備をした学生は「必然的に自分に自信を持っているから、目の輝き、姿勢、雰囲気、態度が違うのである」と言っている。合否のポイントは非言語情報であるとおいう。(pp.204-205)

☆何事も話す前に勝負はついている。

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『聖なる怠け者の冒険』

『聖なる怠け者の冒険』
森見登美彦
朝日新聞出版、2013/5/30、¥,680(有隣堂亀戸)

とある研究所の研究員小和田君は、週末にごろごろするのを無上の喜びとする若者。京都に出没するぽんぽこ仮面は彼を後継者と見定め、あの手この手で引継をしようとするがなかなかうまくいかない。
そのうちテングブラン流通機構に狙われるようになったぽんぽこ仮面は、必死に一人で戦うも限界を迎え、なぜか代わりに小和田君が流通機構の親玉と対面することになる。

話の筋は小和田君とぽんぽこ仮面、そしてその周辺に出没する様々な人のどたばたで進んでいくが、それよりもいつも通りの森見のくねくねした文体を楽しむのが本書の読み方だろう。

血湧き肉踊る冒険ではないが、確かに冒険談にはなっていて、最後まで楽しく読んだ。

●土曜倶楽部とは、毎月一度、土曜の夜に集まって猪鍋を喰うことを目的とした七人の人間から成る集まりである。(pp.243-244)

☆有頂天家族の金曜倶楽部に似ている集会。本書内では土曜倶楽部から日曜倶楽部まで階級が上がっていく集会がいくつもある設定になっている。有頂天家族と設定上のつながりがあるかどうかは本書だけではよくわからなかった。

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『史上最強の内閣』

『史上最強の内閣』
室積光
小学館文庫、2013/3/6、¥650(L)

北朝鮮が日本に向けてミサイル発射準備に入った。自由民権党の浅尾総理は自らの限界を悟り、京都にある影の内閣にすべてを委任する。

北朝鮮のシンジャンナムがディズニーランドに行こうとしてつかまり、日本のテレビ局に引っ張りだこになったり、工作員がアイドルとして売り出されたり、影の内閣の二条首相が北朝鮮に乗り込み謝罪と賠償を要求したり、と今の日本のパロディを繰り広げる。何でも反日の朝地新聞を嗤うかのように書かれているが、このあたり非常にうまく書いている。また、北朝鮮に残置諜者として残った通称「太郎」が、北朝鮮高官として日本に情報を流し、最後に粛清される下りは、戦争で戦った多くの日本人の姿を思い起こさせる。概ね、大多数の日本人が感じていることをうまく小説にして書いた、という感じで大変面白く読んだ。

ただ、文庫版の解説を書いている落語家が、安倍総理のことを「ポンポン痛いの」が原因で政権を放り出した、と既に当該難病を持つ患者団体等の抗議によって否定された言辞を弄して本書の価値を貶めているのは大変残念。

●高杉総務大臣は言う。
「『サザエさん』はのう。昭和二十一年から新聞連載が始まったんじゃ。終戦の翌年じゃのう」[略]
「サザエさんの家には彼女のお父さんと弟、夫と息子がおる。これはのう、あの戦争で日本の多くの女性が失ったものなんじゃ」[略]
「サザエさんは当時の日本女性が失った者すべてに囲まれちょる幸せな人なんじゃ。人々には彼女の幸福が眩しかったに違いない。そして現在でもサザエさん一家は愛されちょる。わしが言いたいのはこういうことじゃ、一部の人々は今にもこの国が軍国主義国家に逆戻りするような寝言を、海外にまで広めようとしちょる。じゃがのう、憲法九条がのうても、サザエさんが日本人に親しまれるかぎり、この国は戦争の道を選びやせん。『サザエさんの幸福』を日本人が手放すはずはない。わしはそう確信しちょる。それほど深く反戦の思いは日本人の心に刻まれておるんじゃ。理屈じゃないけえ」(pp.296-297)

☆サザエさんが当時の女性にとってもっとも幸せな姿だった、という見方は新しい発見。

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映画『パシフィック・リム』

映画『パシフィック・リム』
TOHOシネマズ錦糸町
監督:ギレルモ・デル・トロ
キャスト:チャーリー・ハナム、イドリス・エルバ、菊地凛子、芦田愛菜

太平洋の深海から突如現れた怪獣によって世界各都市が壊滅的被害を受ける。これに対抗するため巨大人型兵器イェーガーを開発するが、怪獣の進化に対応できない。そこで、最終的な解決方法として怪獣が出現する海溝深くにある裂け目を破壊しようと試みる。

ゴジラ、キングギドラ、鉄人28号、マジンガーZ、ガンダム、エヴァ、進撃の巨人、その他日本の怪獣ロボット系のアニメをすべて混ぜたような映画。実写でここまで作った熱意に驚いた。

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映画『終戦のエンペラー』

映画『終戦のエンペラー』
楽天地シネマ
監督:ピーター・ウェーバー
キャスト:
ボナー・フェラーズ:マシュー・フォックス、マッカーサー:トミー・リー・ジョーンズ
アヤ:初音映莉子、鹿島:西田敏行、昭和天皇:片岡孝太郎、高橋:羽田昌義
関屋貞三郎:夏八木勲

昭和天皇の戦争責任を10日以内に調査すべくフェラーズ准将は権力中枢にいた人物を尋問する。同時に戦前離ればなれになった日本人の恋人アヤの行方を専属通訳高橋に調査させる。(史実とは異なる)

アメリカが撮るとこうなるのか、という印象。ロシア人監督の『太陽 The Sun』は芸術的な映画だったが、こちらは実際の皇居近辺でのロケがあり、現実感に富む映画だった。ただ、出演者の演技は甲乙つけがたく、趣は異なるもののどちらも良い作品。

本作はちょっと日本を持ち上げ過ぎで、明らかに日本での興行を意識している。ただ、これまでにありがちだった荒唐無稽な日本人ではなく、違和感なく演じられており、本音と建前など日本の文化についても正しく理解されていた。また、マッカーサーを日本に理解のある宇宙人ジョーンズが演じていたこともあり、全体的に日本を大変よく描いている映画だった。

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『新日本フィル 金曜午後2時の名曲コンサート』

日時:2013/8/09 14:00-16:00
題名:<新・クラシックへの扉>金曜午後2時の名曲コンサート
場所:すみだトリフォニーホール ¥4,000
出演:小泉和裕[指揮]、郷古廉[バイオリン]
   新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽]
曲目:ベートーヴェン作曲 ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61   
   ブラームス作曲 交響曲第1番ハ短調 op.68   

時間があいたので当日券で入場。ほぼ満席。

ベートーベンのヴァイオリン協奏曲はたぶん初めて聞いた。
ブラ1はテンポが早めで、重厚というより軽快な演奏。

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映画『風立ちぬ』

映画『風立ちぬ』
109シネマズ木場
監督:宮崎駿
キャスト:
堀越二郎:庵野秀明
里見菜穂子:瀧本美織
本庄:西島秀俊

飛行機に魅せられた少年が、成長して戦闘機を開発するまでの物語。

飛行機は呪われた乗り物だ、というのは監督の気持ちだろう。戦闘機や戦車などのマニアでありながら戦争が大嫌いという感情を抱きながらこの映画を撮るのは大変な苦労だったと思う。庵野の声も不思議にも違和感がなかった。奈緒子との出会いから別れまでも美しく描き、自分の映画で初めて泣いた、というのも納得の良作。

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『日本が好きすぎる中国人女子』

『日本が好きすぎる中国人女子』
櫻井 孝昌
PHP新書、2013/7/30、¥798(八重洲BC)

日中関係が悪化する中、女子大生を中心とする中国女子が日本アニメやコスプレにはまっている様子を描く。政治的な部分だけでなく文化的な面で中国の女子が日本に向けるまなざしに光を当ててはどうか、という著者の主張。

中国本土、香港など中華圏で日本語を話す中国人によるイベントが数多く開催されている。著者はそこへ行ってほとんど日本人がいないイベントに驚きつつ、なぜ日本人はもっと彼らにアプローチしないのか、このチャンスを生かさなければ日本アニメは中国に追い越されるのではないか、と疑問を呈する。

日本文化が受け入れられているというのはうれしいことだが、著者が見ているのは「中国が見せたい中国の姿」なので、すべてを真に受けることはできない。が、現代中国のレポートの一つとして面白く読んだ。

●中国の大学で日本語を学ぶのは女子ばかり(p.29)

●アニソン、アイドル、ビジュアル系が、いまや世界で愛されている日本音楽の代表というのが個人的体感である。三者に共通しているのは、日本にしかない音楽ジャンルと世界が思っていることだ。(p.43)

●中国にはアニメーションを学ぶ四年制大学がたくさん存在する。これは日本との大きな違いだ。アニメーション産業の育成を国策として進めている中国政府の方針が反映されていると言えるだろう。(p.45)

●「日本は日本にしかないものをつくる国だ」
 日本を票あkする世界の声の中で、これがもっとも多い意見である。だから、アニメという和製英語は日本の商業アニメーションをさす言葉として世界に定着し、マンガもコミックとは別のメディアとして日本語のまま海外でも使われる。(p.59)

●「真相只有一个」(真実はいつもひとつ!)(p.106)
☆コナンの決め台詞。

●私の中国での文化外交活動で、いつも私の横にいてくれると行ってよい名曲がある。故テレサ・テンの大ヒット曲「時の流れに身を任せ」だ。[略] この歌がいかに瞬時に国境の壁を崩すかを、目の当たりにしつづけてきたからだ。(p.196)

●中国の人たちがよくいう言葉にこんなものがある。「二度会うと親友、三度会うと旧友」(p.205)

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『潜入ルポ 中国の女』

『潜入ルポ 中国の女』
福島香織
文藝春秋、2011/2/22、¥1,500(L)

 「エイズ売春婦から大富豪まで」と副題にあるように、様々な中国の女性について取材を重ねたルポルタージュ。特に印象に残ったのは、中国には都市戸籍と農村戸籍の厳然とした区別があり農民が非差別階級として固定化されていること、強烈な男尊女卑思想があり人身売買がまだ多く見られること、同時にセクハラ・レイプが当たり前で女性の人権は存在しないに等しいこと、男子を生まなければ女性は存在価値がないこと。
 もちろん本書の内容だけが中国のすべてではないが、現代といっても実態は倉山満の言うように古代と中世を繰り返しているだけなのではないか、と思わせられる内容だった。また、身の危険を顧みず中国女性の実態をここまで詳しく調べた福島の胆力には敬服するしかない。

●[エイズ村として有名な文楼村には] ときどき天津や北京の製薬会社の人間が勝手に薬を持ち込んで、非合法の臨床試験を行っているらしい、ということは、呉月から聞いていた。その副作用で、村の老人が失明し、先月末には死んだという。[略] 私たちには、こういった情報の裏をとるために、警察や県政府に問い合わせをする権利がない。この農村は外部に開かれていないのだから、外部から問い合わせしたり事実を調べたりすることは基本的にできない。(pp.59-60)

●中国では50年代に整備された独特の戸籍管理制度が今も続いている。農村部に生まれた子供は農村戸籍となり、都市で生まれた子供と区別される。都市への人口集中を避けるため、というがこれは中国版アパルトヘイト(人種隔離政策)であり、事実上の身分差別制度といえ、農民の移動や就職選択の自由は大きく制限され、農民を貧しいままにしておく重石となった。90年代に入り、農民の都市への出稼ぎは比較的自由になったが、それでも農民戸籍のままで暫定居住証という都市居住資格だけを持つ二等市民に据え置かれ、都市住民が当然受ける医療・福祉・教育の恩恵を受けられず、安価な労働力として搾取される対象だ。中国の経済は農民という"国内奴隷"を利用して発展してきたと言っても過言ではない。[略] 農村では娘の地位は低い。しかし、大学を卒業して都市の仕事につけば、男女に地位が逆転することもある。(pp.64-65)

●中国人口の半分以上は農民であり、農村には中世封建時代と変わらぬ厳しい男尊女卑の価値観がねづいているのが現実だ。売春婦は、世の中でもっともいやしい職業のくせに金を持っている、という意味でしばしば、低層社会の敵意の的にもなっていた。[略] 売春婦の殺害や失踪はしばしば発生している。ただ、警察が事件として取り扱わないし、関係者も事件として告発しないから、表に出てこないだけだ。(pp.84-85)

●「客の子を妊娠したのよ。もう三年くらい前かしら」[略]
「で、生まれた赤ん坊はどうしたの?」と私。
「生まれてすぐ売ったって」とこともなげに言った。(p.96)

●胡蓉は1971年生まれの、恐らく中国初の女流少年漫画家である。[略] 彼女は日本の女流漫画家の大御所の一人、佐伯かよののアシスタントを経験しながら日本流のストーリー漫画を学んだ。彼女が日本でのデビュー単行本『ZERO CITY』を上梓したときは、一部日本のメディアもインタビュー記事を組んだ。(pp.182-183)

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