« 『社長は少しバカがいい。~乱世を生き抜くリーダーの鉄則』 | トップページ | 『「折れない心」をつくるたった1つの習慣』 »

『嘘だらけの日中近現代史』

『嘘だらけの日中近現代史』
倉山満
扶桑社新書、2013/6/1、¥798(有隣堂亀戸)

中国は近代国家ではなく、古代と中世を繰り返しているだけ。中国に5000年の歴史などない。日本の政治は媚中派によってズタズタにされた。など、今までの常識とは一風違った主張を展開する本。すべてが本書の通りだとは思わないが、思いもよらなかった視点を与えてくれるという意味で一読の価値があり、大変面白く読んだ。

●手始めに、中国を理解する三つの法則を覚えてください。
1.力がすべて
2.陰謀でごまかす
3.かわいそうな人たち
 つまり、ただひたすら殺伐としているのが中国なのです。徹頭徹尾、暴力や金銭、あるいは社会的立場など、自分と相手のどちらが強いかだけを計算して行動します。この点で、世界一の冷徹さを持つ民族です。日本人など到底及びもつきません。弱肉強食、万人の万人に対する闘争こそが中国大陸の本質です。(p.9)

●まじめに中国の政治史を書こうとしたら、モンゴル語や満洲語ができなければ話になりません。しかし、日本で東洋史・中国史の権威とされる人のほとんどはモンゴル語や満洲語ができません。(p.14)

▲中国の歴史とは「宇宙の中心に存在する工程とその周辺に起きた出来事」なので、かなり簡単にパターン化できる。
1.新王朝成立 → 2.功臣の粛清 → 3.対外侵略戦争 → 4.漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成 → 5.閨閥、宦官、官僚など皇帝側近の跳梁 → 6.秘密結社の乱立と農民反乱の全国化 7.地方軍閥の中央侵入 8.1へ戻る
 時々逆行したり順番を飛ばしたりするが、基本的にこのパターンを数千年繰り返して今に至っている。(p.16)

●中国文明の強みであり弱みでもあるのは、文字を持っていることです。古代世界では、文字を使う民族は北方騎馬民族に蹂躙される弱い集団なのです。陰で好き放題なことを書いて、はるかのちの時代にも好き放題書いて伝えているだけです。たとえば、「匈奴」という文字は「騒乱を起こす連中」といった意味です。しかし、そういう憂さ晴らしくらいしかできないのが当時の力関係です。[略] 喧嘩で勝てないから相手に聞こえないところで陰口を言っているだけなのです。このあたり、ヨーロッパ人がペルシャ人と戦争をするたびに大敗しているのに、たまに勝つとそれがすべてであったかのように記述するのに似ています。(p.19)

●中国の歴史を習うと「皇帝は辞典の編纂を行った」とする記述がありますが、あれは本当に言葉を変えているのです。たとえば「北京」の発音ですが、「ペキン」と読むのは明の時代の発音で、現在は「ベージン」が標準語です。中国では方言が外国語のように違うので、文字や発音を標準語として統一するということは、偉大な権力者の証でもあるのです。劉邦の場合は、まさに漢字を決めました。東アジアで最初の歴史書である『史記』が編纂されたのも漢帝国です。(p.20)

●「馬鹿」という言葉が生まれるのもこの[秦の三世皇帝の] 時代です。つまり皇帝が馬を見せて「これは鹿だ」と宣言し、「いえ陛下、これは馬です」と間違いを正した家臣を殺したという逸話に由来します。日本の漢文の授業では「このように正しい発言が通らなくなると国は滅ぶのだ[略]」という教訓話として教えてしまうので、中国人も日本人と同じ価値観の人たちなのだという間違いのもとになってしまいます。中国人にとっては逆で、殺されるかもしれないのに正しいことを言う人間こそバカなのです。生き残るためには平気で嘘をつく、真実・正義・良心の呵責などという何の役にも立たない世迷い言は捨ててしまう。このリアリズムこそが中国人の真骨頂です。(pp.24-25)

●ちょうど、現代アメリカの学者・評論家が自分の理論を掲げて時の政権に取り入るのに成功すると、あとはカネも権力も思いのまま、というのに似ています。ヘンリー・キッシンジャーが愚にもつかぬ外交理論を掲げてニクソン政権に取り入り、政府高官としての地位を利用して中国利権にどっぷりつかり、その後は欧米の学界で威張り散らしているようなさまを想像してください。古代中国、孔子の生きた春秋戦国時代も同じでした。(p.29)

●つまり、[南蛮の征伐によって] 孔明は今の雲南省やビルマ、ベトナムあたりから人を大量拉致していたということです。史実の三国時代は、人口の九割が減少、純粋な漢民族はこのときに消滅したと言われます。それでも三国鼎立の殺し合いは終わりません。だから、魏は北方の騎馬民族から、呉は台湾など沿岸から、蜀は南方から兵士を補充しなければならなかったのです。(p.41)

●[強敵孔明がいなくなると自分が粛清されるので] 「強敵」孔明に脅かされている方が、仲達にとっては都合がいいのです。その結果、魏がどうなろうと知ったことではありません。
 中国人にとって外敵など、政争の道具にすぎません。(p.43)

●[派閥抗争に明け暮れる明は] 「倭冦」を名乗る海賊に悩まされ続けます。最初は元寇で大虐殺の憂き目に遭った対馬や壱岐の住民など日本人が中心でしたが、だんだん九割以上が中国人や朝鮮人になります。腐敗しきった明には、これをまともに取り締まるだけの能力がありません。
 1523年には「寧波の乱」といって、日本の細川氏と大内氏の貿易船同士が寧波で勝手に合戦を始めるのですが、明の役人はただ見ているだけというお粗末な対応です。
 明にはまともな安定期が訪れないまま、末期は豊臣秀吉にタコ殴りにされます。[略] 要するに、明は自分の領地に等しい朝鮮で、秀吉が死ぬまで日本軍に居座られて何もできなかったのです。(pp.60-61)

●今までのところの話しですが、東アジアに二つの大国が存在したことはありません。日中は並び立たないのです。前近代のほとんどの時期、日本は外国と没交渉に等しい状態でした。裏を返せば、ユーラシア大陸の騒々しさとは無縁に暮らしてきたと言えます。(p.80)

●しかし、これだけは言えます。片方で孫文を立てながら、もう一方で孫文を支援した[犬養毅・宮崎滔天・頭山満・内田良平・梅谷庄吉などの] 人たちをあしざまに罵る。これが中国革命に対する中国人の態度です。ついでに言うと、日本の学界はこうした中国人の姿勢に右へ倣えです。(p.95)

●大日本帝国は、まさに中国動乱への対応を誤り、亡国の道を歩んでしまいました。(p.102)
●かつて伊藤博文は、日清戦争で首都北京攻略が見えて来たところで和議を結びました。日露戦争でもロシアを来た満洲に追い返し、満洲における日露の権益を確保しつつ、清国の主権を確認しました。中国大陸に深入りすると碌なことがないという法則を知っていたからです。どんな王朝も300年で滅んでいるのです。二千年間一度も歴史が途絶えたことのない日本がわざわざ不幸に巻き込まれることはないのです。(p.109)

☆軍部だけでなく外交の誤りが原因であると主張する。

●孫文に関しては「アジアの大義」を信じ、孫文に殉じた日本人も多いことから、純粋な革命家だと思っている日本人もいますが、それは甚だしい勘違いです。
 日米ソといった大国を天秤にかけながら、カネをせびり嘘をつき裏切り・・・ということの連続です。最晩年の孫文はコミンテルンと手を結びながら、神戸の女子学生の前で「アジア主義演説」をしているくらいですから、褒めるならばマキャベリスト、はっきり言えばインチキ革命家といったところでしょう。(p.125)

●陸軍内も、「首脳対中堅」「中央対出先」という対立があり、一枚岩になれません。「日本が中国を侵略した」という論者の問題点は、「統一された国策があれば、大日本帝国は苦労しなかった」という点を見落としていることです。(p.148)
 張学良の非人道的行為は、日本人の常識となっていましたから、名目さえあれば関東軍の軍事行動は当然という論理的帰結になったのです。関東軍に「戦闘をやめよ」というのは、「邦人を死なせよ」というのに等しいので、政治家としても勇気がいる発言だったのです。(p.148)

●外務省は[法的に日本人である] 朝鮮人への[中国による] 数々の嫌がらせに冷淡でした。吉林総領事であった石射猪太郎は「朝鮮人問題で苦労するとは、外交官も落ちぶれたものだ」と戦後に回想しています。[『外交官の一生』読売新聞社、1950、p.171] この箇所は1986年の中公文庫での再販では削除されています。[略]
 問題は、帝国主義の時代だからこそ国家の威信が大事だと言うことです。事件が起きたときは泣き寝入りしてはならないのは[略] 当然です。ところが、当時の外務省は事なかれ主義だったようです。(pp.151-152)

●日本の歴史学界で絶対に使えない学術用語があります。「中国のプロパガンダ」です。
 自分の見聞きした範囲ではっきり断言しますが、中国を研究している平成の日本人で、中国共産党に遠慮なくものが言える人など数えるほどしかいません。理由は三つあります。
 一つ目は、中国の悪口を言うと、基本的に入国させてくれませんし、必要な資料を見せてくれないなど研究にさまざまな支障が出ます。二つ目は、戦後の中国研究者のほとんどが親中派だったので、弟子や孫弟子は先生・先輩の業績を否定するような研究は許されなかったのです。三つ目は、さまざまな名目の「日中共同研究プロジェクト」に依存している研究者が多いので、研究資金を打ち切られる恐怖に打ち勝てる人は少数です。(p.153)

●歴史学者や外交官が国際社会で振る舞うべき二つの鉄則があります。
 1.疑わしきは自国に有利に
 2.本当に悪いことをしたなら自己正当化せよ
 歴史学者はよその国に及ばれしたときにはこっそりと本音を漏らす場合もあるのですが、中国の外交官が公式の場でこれら二つの鉄則を踏み外したという話を聞いたことがありません。うらやましい限りです。一方、日本の歴史学者や外交官には、三つ目の鉄則を叩き込む必要がありそうです。
 3.やってもいないわるいことを誤るなど、論外
 書いていて、情けなくなりました。(pp.156-157)

●たとえば、夫婦喧嘩でも日中の国民性は違うと言われます。
 日本人の場合は、相手と罵り合います。もちろん、家の中で。
 中国人の場合は、家の外に出て、相手の非を第三者に訴えます。夫と妻のどちらが「観客」の支持を得るかで勝者が決まるのが中国の夫婦喧嘩です。
 両国外務省の国際宣伝にしても、この通りです。幣原喜重郎に代表される典型的日本人は相手と直接話し合って解決しようとします。一方の中国人は国際社会に日本の非道を徹底的に訴えますから、日本は常に出遅れます。かくして、「日本悪魔化」が完了し、国際世論は日本の敵となるのです。
(pp.157-158)

☆現在の従軍慰安婦問題もまったく同じ経過をたどっているように見える。

●中国人にとって根拠や事実関係は問題ではなく、第三者を説得できるか否かが問題です。[略]
 これを知っていながら外務省は一笑に付したので宣伝戦でやりたい放題やられました。現に当時のアメリカ世論は信じてしまったのですから、「こんなデタラメを信じるバカはいないはずだ」では通らないのです。明らかに国益を損ねました。(p.158)

☆中国人がディベートに強いのは事実はどうでもいいと思っているから。

●満洲事変という日本の運命を決めた大事件に関して、日本人が真に反省すべきはなんでしょうか。繰り返しますが、「侵略という悪いことをした」という嘘についてではありません。
 負けたことです。そして、負けた反省をせずに同じことを繰り返していることです。(p.161)

●実は、植民地経営の経験が長いリットンは絶妙な解決策を用意していました。「日本には実を取らせ、中国には花を持たせよう」ということです。満洲国を否認して形式上は中華民国の領土と認めた上で、日本の満洲における権益を容認しようとしたのです。イギリス本国はこうした方針で、これをまとめたのが『リットン報告書』です。しかも、あまり知られていませんが、中国を「政府は党の一重要機関に過ぎず」と、蒋介石政権をファシスト国家だと指弾している反中レポートです。
 ところが、『朝日新聞』を筆頭とする日本のマスコミはこの報告書を反日文書だと糾弾しました。あおられた世論はリットンを蛇蝎のごとく憎悪し、ポピュリズムに流された政府は国際世論への説得ではなく、リットンと国際連盟への敵視を始めます。(pp.170-171)

☆今も昔も国益を損ねるのはマスコミ。

●この年[1933]、欧米では二人の凶暴な人種差別主義者が権力を握ります。ドイツのアドルフ・ヒトラーとアメリカのフランクリン・ルーズベルトです。[略]
 F・ルーズベルトは、先祖が中国人奴隷貿易で巨万の富を築いたことに罪悪感を抱き、終生を親中派政治家として行動したという人です。その一方で、「日本人の頭蓋骨は白人よりも小さい」と本気で信じていた人種差別主義者です。戦争をいやがるアメリカ国民をだまし、何の利害関係もない日本に喧嘩を売り、国際法を片っ端から破って無差別攻撃で非戦闘員である民間人を殺しまくりました。アメリカ大統領は再選までしか許されないのに、憲法の欠陥をついて有無を言わせず四選十二年も政権を独占した権力亡者でもあります。アメリカは、F・ルーズベルトの指導下で世界の覇権国にのし上がりました。(p.174-175)

●「満洲」などとサンズイのついている文字を使うと、火の王朝である漢民族の明を、異民族の満洲人が滅ぼし水の王朝を建国した意義を強調することになる、という政治的配慮です。[略] 敗戦後の我が国では残念ながらそういう自称専門家が幅を利かせているのですから嘆くしかありません。(pp.176-177)

●どちらも悪い意味で使われるので気づかないのですが、ファシズムと軍国主義は宿敵です。ファシストは愛国心や民族主義、そして軍国主義的な言説を煽ることが多いので勘違いしがちですが、厳密にはファシズムと軍国主義を同時に行うことはできません。
 ファシズムとは一国一党のことです。1920年代以降のイタリアのファシスト党やナチス・ドイツが」典型です。[略] 軍国主義とは国策の最優先事項に軍事を据えることです。国家を至上とする国家主義と前提としています。その国家より上位に独裁党が存在するファシズム下においての軍国主義など語義矛盾なのです。
 では1930年代以降の日本はどうだったのでしょうか。ファシズムにも軍国主義にもなれませんでした。憲政の常道は失われましたが、帝国憲法も議会も敗戦まで健在でした。[略] もうひとつ、当時の日本を軍国主義と呼ぶのも褒め過ぎです。[略] 政党政治の崩壊以後、だれも国策をまとめられなかったからこそ、満洲事変でも迷走したのです。むしろ元寇や日清・日露戦争のほうが正しい意味での軍国主義でしょう。昭和日本の悲劇は、軍国主義に走ったことではなく、軍国主義になれなかったことです。(pp.186-187)

●日本だけはこの[1933-1945]j十三年間に十三代の内閣で十一人の総理大臣が交代しています。英米ですら独裁者に匹敵する指導者を選んで戦争を行おうとしている時代に、日本政治は不真面目すぎたというべきです。(p.188)

●断言します。大日本帝国を滅ぼしたのは、近衛文麿とその側近たちです。彼らが中華民国との泥沼の戦いにに日本を引きずり込み、それだけでは飽き足らずに対米開戦を仕組んだのです。(p.190)

●日本は過去の自国の外交行動を全否定し、毛沢東の主張を全面的に受容しました。また、本当は「国交回復」したのではありません。国家承認の相手を台湾から北京に切り替えただけです。こうした呼称こそ国辱の原点です。田中と大平は何を急いだのでしょうか。当のアメリカが、中国と提携の姿勢は示したものの正式な国交樹立には、なお数年をかける慎重姿勢だったというに。(p.247)

●決戦は、1976年9月15日の三木内閣改造です。三木は松野を幹事長に据えた上で解散総選挙を断行し、田中は壊滅を狙っていました。しかし、福田は園田の進言を容れてこれを阻止します。ここに大勢は決しました。以後の30年間、田中角栄とその後継者たちの親中派政権が日本政治を我がものにする端緒となったのです。(p.249)

●福田内閣唯一の業績は園田外相が進めた日中平和条約調印として歴史に残されていますが、この内閣で尖閣問題が深刻化し、今となっては北朝鮮による日本人拉致が最も激しかったのもこの時期だとわかっています。何も考えずに首相の地位を求めた代償は大きかったと言えるでしょう。(p.250)

●こうした[白川日銀の円高で海外脱出した] 企業を受け入れた中国は、日本のGDPと雇用と優秀な技術を労せずして手に入れることができました。すべての源は日銀がお札を刷らないから、デフレ円高になったのです。日本銀行は中国の資金源と化しました。戦わずして日本を滅ぼす。日本はまちがいなく亡国前夜の様相でした。(p.258)

●マスコミのネガティブキャンペーンなど蹴散らすように支持率は絶好調です。不況でまともに予算をかけられず、しかも規制でがんじがらめの大メディアに真実がないことを、国民は気づき始めています。[略] 第二次安倍内閣は間違いなくネット時代の産物でしょう。(p.264)

●明治以来、中国には悩まされ続けてきました。共産党による独裁が続こうが、分裂して動乱状態になろうが、いずれにしても大迷惑な存在であることには違いはありません。日中平和共存など幻想です。聖徳太子や菅原道真のように距離を置くか、伊藤博文や桂太郎のように正しく対処するしかありません。(p.267)

|

« 『社長は少しバカがいい。~乱世を生き抜くリーダーの鉄則』 | トップページ | 『「折れない心」をつくるたった1つの習慣』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40886/57802688

この記事へのトラックバック一覧です: 『嘘だらけの日中近現代史』:

« 『社長は少しバカがいい。~乱世を生き抜くリーダーの鉄則』 | トップページ | 『「折れない心」をつくるたった1つの習慣』 »