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『戦国名臣列伝』

『戦国名臣列伝』
宮城谷 昌光
文春文庫、2008/4/10、¥610(BO350)

春秋名臣伝に続く中国戦国時代の名臣列伝。戦国7雄の中から次第に秦が突出した実力を見せ始め、中国を統一していく時代を描く。春秋のようなある種のおおらかさはなくなり、ひたすら権謀と殺戮が続く時代。そして、長平の戦いでの秦の白起による趙兵45万坑殺や、今日の見方は明日の敵といった裏切りの連鎖などは、現代の共産主義中国でもあまり変わらないな、という印象を持った。

大変面白い一冊。

●儒教は、どこからみても、支配階級のための学問である。(p.41)

☆この言に従えば、日本は儒教に染まりきらなかったことで中華圏とは違う文化を持ったのかもしれない。

●想えば魏は天才を失い続けている。呉起を出奔させ、孫臏を逃がし、公孫鞅を抜擢することができなかった。富強をはたしたという驕りは、人材の発掘をにぶらせ、観察眼をくもらせ、危機意識を払底し、改善の意欲を減退させた。人でも組織でも、現状に満足してそれを守ろうとした瞬間から衰頽(すいたい)がはじまると想ったほうがよい。それをまぬかれるためには、改善しつづけても達成しえない高みに志をおいておくことであり、志と目的とはちがうということを認識しておくべきである。魏という国の志は低かったということである。(pp.840-850)

☆心して聴くべし。

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『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』

『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』
亀田 潤一郎
サンマーク出版、2010/12/10、¥1365(BO700)

発売当時結構話題になった本。そもそも科学的な根拠はないので、あくまでも著者の経験による話。一言で言えば、お金を稼ぎたければお金を擬人化して大事に扱いましょう、ということ。面白いなと思うところもあり、納得できないところもあり、読者の環境によって読み方は変わるだろうが、それなりに楽しめた。

ただ、表題の長財布については、その値段の200倍が年収になる、というのはちょっと怪しいなと思った。年収1億以上の人がでは50万の財布を使うかと言ったらかなり考えづらい。なので、多分本書のターゲットは年収1000万〜2000万くらいになりたいな、と思う読者なのではないだろうか。

●財布を新調したら、使い始める前に決まってやることがあります。それは、財布に「お金の味」をしっかり覚えてもらうこと。具体的には、使い始める前に3日間くらい、大金を財布に入れておくのです。
 できれば100万円。100万円が難しければ、10万円でも20万円でもいいでしょう。自分にとって大金と思う額の金額を、思い切って銀行からおろし、財布に入れておきます。
 これは、常にお金を気遣い、事業の経営もうまくいっている方たちから教えてもらったこと。ぜひまねをしてみようと思い、私も実践しています。彼らが言うには「お金にしてみても、まったく新品より、多少でも使われている財布のほうがきっと心地よい」。(p.51)

☆著者は200万円を3日間入れて寝かせたとのこと。面白い考え方。

●経営が波に乗っている社長とお金や財布の話になると、よくこのギザ十の話題が登場します。私が最初にギザ十のことを知ったのも、社長との会話がきっかけでした。
「ギザ十が来た時というのは金運到来の兆しなんだよ。だから亀田君も気をつけてみているといい」
 今から十年くらい前に、ある社長が教えてくれたことです。[略]
 彼らの経営がうまくいき、彼らがお金に好かれ続けているのは、ギザ十のご利益うんぬんという話以上に、十円玉という小さなお金にもきちんと気を向けているからなのだ、と。
 何度かお伝えしていますが、お金というのは、細かく気を向けてくれる人の元に集まってきます。その証拠に、お金をおおざっぱに使っている人の元から、あるときお金がざっくりと去っていく場面を、私はこれまで何度も見てきました。(pp.61-62)

☆一円を嗤うものは一円に泣く。

●どんなときでも、お金は「丁寧に渡す」のが基本です。まずお札は、すべての向きを同じ方向にきちんとそろえます。渡すときには、受け取る相手とお札が向き合うようにします。小銭を渡すときなら、渡した相手の手からこぼれ落ちないように、細心の注意を払います。ちなみに小銭とお札を同時に渡す場合は、相手がスムーズにしまえるように先に小銭から渡す。お金を丁寧に渡すことは、手渡す相手への、そしてお金そのものへの敬意です。(p.71)

●[お金に] 「いってらっしゃい」「おかえりなさい」というクセをつけておくと、無駄遣いかどうかを判断する目印になり、また同時にストッパーの役割も果たしてくれるのです。だから、お金を払う前に、心の中で気持ちよく「いってらっしゃい」と言えるかどうか少しだけ考えてみる。それだけで、無駄遣いはグンと減ると思います。(pp.74-75)

☆参考になる。

●税金は気持ちよく払う。これは稼いでいる社長の共通点のひとつです。[略]
 彼らに共通するのは、税金に対する歪んだ考えを持っていないこと。彼ら自身の事業で得た利益が、この社会があるからこそ生まれたもの、社会のかかわり合いのなかで得られたもの、ということをよく心得ています。
 稼いで手元に入って来たお金というのは、社会の「分け前」。だから、すすんでその一部を社会に還元しよう。お礼として社会に返そう。税金に対してこんなふうに考えているのです。(p.76)

●それだけの税金を払えるということは、それだけの利益を得られている。世の中に貢献できているというおとの証なのです。(p.78)

☆同意。

▲私たちの財布から出て行くお金には、基本的に3つの「性格」があります。
消費:消費とは、たとえば1万円のモノを購入したら、その場で即1万円の価値が手に入る使い方。「等価交換消費」といわれる使い方。
投資:投資とは、払った金額に見合う価値のものがすぐに手に入るわけではないけれど、将来何かしら見返りがあるような使い方。会社なら設備投資、個人なら本を買ったり、勉強会に参加するなど。
浪費:浪費とは、使ったら使いっぱなしで、何も手に入らず、将来的な価値を生み出さないような使い方。会社で言えば仕事の憂さ晴らしの飲み代、個人で言えばゲームセンターでゲームに興じるような使い方。
 基本的に「未来を作るお金」は投資だけなので、財布からお金を取り出す前に、一瞬立ち止まって「これは消費か、投資か、浪費か」という問いを自分自身に投げかけることが大切。(pp.81-83)

●「いざとなったら、買った価格の7割で売れるモノ」を買う。私がふだん買い物をする時に心がけていることです。こうすると、同じ消費でも、いざという時少しでもリターンが見込める「無駄の少ない消費」ができるようになります。(pp.96-97)

●お金をためようと思うなら、まずはお金の「入口」よりも「出口」に注意を払うことが重要です。[略] 支出は、基本的に100%自らの手でコントロールできます。お金は「勝手に出て行くもの」ではありません。お金を出て行かせるか、とどまらせるかは、あなたのコントロール次第なのです。(pp.100-101)

▲得をしたいのなら値切ってはいけない。売り手よし、買い手よし、世間よし、とする「三方よし」の近江商人の経営理念は今でも通用する。お金というのは、ひとりで勝手にやってくるものではない。そこには必ず人が介入している。お金は人が運んでくる。つまり買う側になったときも自分の得ばかり考えていては人は遠ざかっていく。人が遠ざかれば同時にお金も遠ざかっていく。(pp.126-129)

▲「たとえ1ミリでも、前進すればそれは前進だ」(p.140)

▲「10年後にどうなっていたいか?」を意識する。そして日々、できるだけ「なりたい自分」に近づけるような行動をとるようにする。たとえば読む本や映画も、著者や登場人物が「なりたい自分」に近いものをより多く読むようにする。(p.141)

▲身につけるものを変えれば人生が変わる。「人生をより質の高いものに変えるためには、つきあう相手を変えなさい」とよく言われるが、まずは身につけるものから変えてみる。
 たとえば5万円の高級傘。端から見ればただ傘を変えただけかもしれないが、それだけで今まで気づかなかったいろいろな世界が見えるようになる。そしてお金に好かれる人ほど、そういった身なりや外見をきちんと見ている。少しでも格好や雰囲気に変化があれば、それにすぐ気づく。つまり、ささやかな外見の変化も見逃さない。
 たとえば本。インプットが変わればアウトプットが変わる。質の高い情報が入ってくれば、セルフイメージも高まる。(pp.144-147)

☆必ずしも完全に同意はできないが、参考になる考え方。

●お金と人は、基本的に同じなのです。だからお金とも節度を持ってつきあう。執着するのではなく、適度な距離を保ちながらつきあう。「親しき仲にも礼儀あり」の関係なのです。(p.149)

☆本書のもっとも重要な主張。

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『語学はやり直せる! 』

『語学はやり直せる! 』
黒田 龍之助
角川oneテーマ21新書、2008/2/10、¥720(三省堂本店)

神保町でものづくり補助金説明会があり、その後立ち寄った三省堂本店で平積みになっていたので、購入。NHKロシア語講座の講師。一言で言うと、語学は役に立つにではなく、純粋に楽しんでやったらいかが、という本.あまり理論的根拠が確かではないが、言いたいことはわかった。
 たくさんの外国語を学ぶのは楽しいが、一言語でも相当力を使うので、一度に一つずつにしてある程度たったら次に移れ、などの実践的アドバイスも役に立つ。

●語学の王道とは何か。それはもう決まっている。
 読書である。
 読書と語学は切り離せない。いや、切り離した語学もある。たとえば会話ばかりの語学もあるのだが、わたしは読書の方がいいと信じているし、読書以上に語学と結びつくものを他に知らない。(p.25)

☆最近の会話中心語学には自分も疑問があるので、言いたいことはわかる。

●テストの点数を基準に読書をする。悲しいね。そんなのは読書じゃないんだな。かつて友人がいっていた。「読書とは自分で本を選ぶことだ」。このことばには感動した。(p.26)

☆○才から、やTOEIC○○点以上、といった基準に縛られるのは愚か、と主張している。まぁ、楽しめるのなら自由に読んでよいと思う。

●必死に勉強して、根性で一時的に語学力をつけ、たとえば認定試験で好成績を収めても、語学はそれで終わりではない。放っておけば、どんどん忘れる。語学で意外に大変なのは、メインテナンス。そのメインテナンスがどうしてできないのか。やっぱり、つまらないからである。
 つまらないのはダメ。語学は文化であり、つまらない文化はいけない。(p.45)
●語学でもっとも大切なのは、やめないことだ。続けるのとは違う。それほど積極的でなくていい。ただ、やめない。それを心がけるだけで充分。ところが、これが意外と難しい。(p.49)

☆継続は力なり。語学では特に当てはまる。

●私の場合、振り返ってみれば、だいたい十年くらいやめないで一つの言語と付き合っていると、その全体像が何となく見えてくる気がする。しっかり自分の中に根ざしたなあと感じるまでには、さらに十年かかる。個人差もあるだろうから、この数字は目安にすぎないのだが。
 少なくとも「あっという間」に上達することは絶対にあり得ない。だから、そういうことを謳っている語学書とか会話学校は、はっきりいって詐欺である。(p.50)

☆同意。

●語学は時間がかかる代わりに、基本的にはかけた時間だけ返ってくる。うん、そんな気がする。過大な期待さえかけなければ、語学へ時間を投資することは、決して損をしない。ローリターンだけど、ローリスク。語学は正直だ。反対に、急ぐとどこかで欠陥が生じる。(p.52)

☆あまり時間効率はよくないのは同意。

●時間がかかること、復習を忘れないこと。この二つのことさえ納得していれば、心配はいらない。楽しい気分でクールに語学に打ち込めるはず。(p.57)

☆学校で受けた語学の傷は、英語以外の語学を一からやることで解決できる、と説く。

●外国の諺に「学んだ言語の数だけ、人間らしくなっていく」というのがある。広い視野を持っているのが、人間なのだ。(p.72)

☆名言。

●言語能力は数値で測れない。言語のような複雑な体系は数値化できないのだ。できるんだったら「日本一英語のできる人」とか、そういう人がマスコミをにぎわせてもよさそうなものではないか。通知化できるのは言語能力のうちのごくごく一部に過ぎない。そう考えるんだったら、検定試験も悪くない。 決められた時間内で、与えられた問題にどれだけ正解できるか。それはそれで能力には違いないが、一部分に過ぎないということを忘れると、とんでもない結果を招きかねない。数値化された結果は一人歩きをはじめる。とくに最近の語学検定試験は、昔みたいに○○級合格くらいのおおざっぱなものではなく、スコアが数字によって細かく出る。これが危険な誘惑なのだ。特に危険なのは、検定試験を何かの選抜に使うこと。競争になれば、点数は一点でも多い方が優れていることになる。だが、繰り返すが語学というものは本質的に能力が測れない。目の前に人間がいれば、そういうことが理解できる人も、たとえば応募書類だけを見ていると、TOEIC760点と770点を比べて、後者のほうが優れているような気がしてしまう。そんなの誤差の範囲だと考えられなくなってしまうのである。(pp.99-100)

☆まったく正論。

●語学のプロだって、いろんな性格の人がいる。かつての通訳仲間、親しい語学教師を思い浮かべても、本当にさまざま。にぎやかな人、おとなしい人、押しの強い人、遠慮深い人。でも、共通点が一つだけある。みんなよく勉強するのだ。それも「静か」に。勉強するのは当然だろう。知識は常に増やしていきたい。
 では「静か」とはどういうことか。自分一人の時間を作っているということである。資料を読むにしても、耳の訓練をするにしても、基本は一人でやること。時間をきちんと確保して、自分で決めたことをこなすのが、語学のプロであり、みんなこれを実行しているのである。(p.157)

☆まったく同意。

●語学のプロは、その言語が話されている地域のプロでもある。ふだんから言語外現実に関する知識を増やしていくことが肝心なのは、語学教師に限らない。でも、それだけでは足りない。語学のプロは、日本に関する知識が不可欠になってくる。(p.163)

☆たとえば外国に行くと急に動植物名を知りたくなる「にわかナチュラリスト」が多く、ガイドなどをしていると動植物の名前まで広範な知識が問われるとのこと。納得した。

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『川淵三郎 虹を掴む』

『川淵三郎 虹を掴む 』
川淵三郎
講談社、2006/5/30、¥1942(L)

Jリーグの生みの親である著者の回顧録。早稲田大学卒業後古河電工に就職していたが、子会社への出向を命じられたことで日本サッカーリーグに関わるようになった。しかしアマチュアの限界を感じてプロ化への模索を始め、様々な抵抗にあいながらついにJリーグを発足させた。

ジーコ監督までの時代を書いているので少し古いが、Jリーグの成り立ちを知るには良い本。また、川淵氏が「独裁者」と言われてナベツネ氏とマスコミ上でやりあった話など、興味深く読んだ。

●しかし、ボランティアならではの弊害もある。特に経営・運営能力の面で弊害が出始めると、なかなか直すのは難しい。その集団は単なる好き者、同好の士の集まりとなり、外からの意見には耳を貸さず、負けても傷を舐め合って終わる。ボランティアの体系はそのまま無責任の体系へと転落する危険性を常にはらんでいる。(p.26)

☆サッカーに限らずどこでも起こりうる。

●750人の恵まれない子供たちを1000ドルのチャリティーで招待する。これは毎回スーパーボールでやるらしいのだが、募集すると、あっという間に埋まるという。正規175ドルのチケットを1000ドルで買い、それを恵まれない子供たちにプレゼントし、差額はチャリティーに回る。このチケットを買う人は「ありがとう」といいながら寄付すると聞いて、びっくりした。日本で寄付というと、どこか恩着せがましい感じで照れたりするし、寄付してやったという感情を持つ人もいる。それが「寄付させてもらってありがとうございます」という感覚でチャリティーが行われている。そういう経験があったから、Jリーグでも「寄付させてもらってありがとう」と言えるような状態に早くなりたいと思っていた。(pp.43-44)

☆寄付の心構え。


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『遠まわりする雛』

『遠まわりする雛』
米澤穂信
角川文庫、2010/7/24、¥660(BO¥350)

古典部シリーズ第四弾。短編集。入学してすぐの頃から、少しずつ時間を経過した短編を7編。表題作は四人それぞれの人間関係に変化が見られる様子を描いている。

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『クドリャフカの順番』

『クドリャフカの順番』
米澤穂信
角川文庫、2008/5/24、¥660(BO¥350)

古典部シリーズ第三弾。神山高校文化祭で連続盗難事件が発生。盗まれたものはそれぞれ大したものではないが、その裏に隠されたメッセージを折木奉太郎以下古典部のメンバーが推理する。

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