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『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』
村上春樹
文春文庫、2012/9/4、¥840

表題の通り、村上春樹のインタビュー集。あまりインタビューがないというわりには、まとめるとそれなりの量になるので、通して読むと村上が何を考えてきたか、ということが大体わかるようになっている。

彼は取材を重ねて書くというより、自分の心の闇に深く沈んで、その闇を小説として表現する小説家といえる。彼の表現そのものはアメリカ小説風のどちらかというとさらっとした印象だが、読み進めるうちに、どろっとした中身が流れ出てきて、読者に深く考えることを要求する気がする。

村上は、その闇に耐えるために自らの身を律して規則正しく生活し、健康を守ることに偏執的なまでのこだわりをみせる。そのあたりが本書を読むことで理解できる。

個人的には、ショーンウィルシーによる、p.378からの章「小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです」がよかった。

●物語というのは直線的に動く。それに合わせて僕自身も直線的に動くんだけど、両者の間の相関関係というのは、それでもねじれにねじれて、立体的なスリー・ディメンションで動くわけ。それを言葉で説明したり、論理でとらえるのは不可能で、僕が批評に対して不信感を持つのも、批評は小説を論理的、直線的にとらえようとするものだから。でも、僕が考えている物語の進み方は非論理的であり非直線的なものだから、そこにはどうしてもギャップが生じることになってしまう。例えば、[『スプートニクの恋人』の] 「すみれ」はどこに消えたのか、あるいは本当に戻ってきたのかと聞かれても、僕にはそのねじれの連続性の中でしか考えられないんです。(p.55)

☆論理的でないところに村上の小説の魅力があるといえる。

● [あちらとこちらというのは] 一種の物語論とは言えるかもしれない。フィクションの中のフィクションという感じがするところはありますね。ただ、『ノルウェイの森』でも、向こう側の世界とこちら側の世界があったでしょう。向こう側の世界は京都の山奥にある精神病の施設で、「僕」がいる東京の世界がこちら側の世界。そういう二つの世界の相関関係というのは、僕にとってはすごい大きなテーマで、多かれ少なかれ、どの本にも出てくるんです。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も典型的にそうだし、『ねじまき鳥クロニクル』もそう。『スプートニクの恋人』は小さい本だけに、それがいつもより明確に出てしまったのかもしれない。(p.59)

☆村上の小説のテーマを語った部分。

● そのあいだに探していたものが意味を失ってしまい、目的に到達することがたいして重要ではなくなってしまう。物語は、しかしネガティブなわけではありません。というのも物語の真の意味は、探そうとするプロセス、つまり探究の運動のうちにあるんですから。主人公は、はじめとは別人になっています。重要なのはそのことなんです。(p.163)

☆村上の小説でしばしば謎が解かれないまま終わることの一つの説明。

●何度読み返したところで、わからないところ、説明のつかないところって必ず残ると思うんです。物語というのはもともとがそういうもの、というか、僕の考える物語というのはそういうものだから。だって何もかもが筋が通って、説明がつくのなら、そんなのわざわざ物語にする必要なんてないんです。ステートメントとして書いておけばいい。物語というのは、物語というかたちをとってしか語ることのできないものを語るための、代替のきかないヴィークルなんです。極端な言い方をすれば、ブラックボックスのパラフレーズにすぎないんです。(pp.326-327)

☆結論を出すことが目的ではないことの表明。

●小説家の役割はひとつひとつの [社会的] 意見を表明することよりはむしろ、それらの意見を生み出す個人的な基盤や環境のあり方を、少しでも正確に(フランツ・カフカが奇妙な処刑機械を異様なばかりに細密に描写したように)描写することではないか、というのが僕の考え方です。極端な言い方をするなら、小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです。(p.384)

☆小説を社会的事象を説明するためのレトリックとして描くための基盤をしっかりと打ち立てることが小説家の仕事である、と言明している。安易に社会的な事象にたいして意見をのべ、小説ではたいしたことが書けないというのはいかがなものか、ということではないだろうか。

●身体の動きが鈍くなると頭の回転もやはり鈍くなってきます。僕が言うのは、小説家的な頭の動きということですが。もちろん贅肉がついていても良い小説を書く人はいっぱいいますよ。僕が意味するのはもっと長期的なことです。長い歳月にわたってアクティブな小説家であり続けるには、ということです。身体の動きと頭の動きって直結して入るんですよね。若いときは上半身だけを使ってものを書けるけど、ある時点から足腰が大事になります。上半身だけではうまく書けなくなってくるんです。そして足腰を強くしておくためには、贅肉はつけられない。とは言っても、ある年代を過ぎると、贅肉は当然についてきます。毎日走っていてもだんだん絞りきれなくなります。僕も、昔に比べるとだいたい三キロ近く増えたかなあ。(pp.468-469)

☆小説を書くことだけでなく、あらゆることに当てはまること。身体を健康に保つことの重要性。

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