『青雲はるかに〈上〉〈下〉』(再読)
『青雲はるかに〈上〉〈下〉』
宮城谷昌光
新潮文庫、2007/4/1、¥700(BO¥400)
宮城谷の小説を探していて、以前読んだのをすっかり忘れて、読んでいる途中で再読であることに気付いた。
中国戦国時代末期、魏に生まれた范雎が、魏の宰相魏斉に疑われて半死半生の目に合い、逃れて後に秦に仕える。宰相となった范雎は、遠交近攻の策を昭襄王に進言し、後の中華統一への開く。同時に、魏斉への復讐を果たす。引き際も鮮やかで、多くの例に見られる悲惨な最後ではなく、人生を全うする。
会う女性がことごとく范雎にメロメロになり、その人生を陰に日に助ける。その部分はすべて創作ということらしいが、課長島耕作を彷彿とさせる。これについては以前と同じ感想。
今回読み直して不思議に思ったのが、そもそもの発端である魏の宰相による范雎への仕打ち。小説でも登場人物の口を借りて書いてあるが、そこまでする必要がほとんどないにも関わらず、なぜ、むち打ちの上、厠に簀巻きにして放り込むことまでしたのかがわからない。その点は小説でもはっきりと理由を述べていない。
●「隹研[すいけん:范雎の弟子]、天というのは恐ろしい。悪をはびこるだけはびこらせておいて、一朝にして枯らす。悪徳の栄えは十年である、と古人はいった。十年後には陶候[=魏冄(ぎぜん)] は秦の宰相でいることはできまいよ」
范雎はそういったが、ことばというのもおそろしい、まさに十年後に、魏冄は秦を逐われることになるのである。(下巻、pp.29-30)
☆十年一昔というように、社会の栄枯盛衰は十年を周期に動くと考えればよいのではないか。
●五行の思想である。若い頃になにかをはじめようとして東へゆくのはよいが、集大成しようとする者は西へむかうべきである。すなわち五行において、東は春であり、西は秋である。秋こそ、収穫のときなのである。(下巻、p.136)
☆年齢を考えるならば、自分もそろそろ西を見るときかもしれない。
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