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『真鶴』

『真鶴』
川上弘美
文春文庫、2009/10/10、¥540(BO¥300)

娘の百が生まれて間もない12年前に夫礼に失踪され、以来母、娘と女三人で暮らしてきた京(けい)。幽霊のような女の影にいつもつきまとわれ、夫の日記にあった「真鶴」の言葉に引かれ、たびたび真鶴を訪れるようになる。真鶴で女の影と巡り歩く内、現実と幻影が混ざり合うように京を惑わせる。

ストーリー自体は、夫に失踪され精神のバランスを欠いた主人公が、その喪失感をもてあましながら物書きとして暮らしていく中で編集者と不倫をし、娘を育て、12年経ってようやく夫の失踪を認めて精神のバランスを取り戻す、といった話。文庫版解説の三浦雅士は、「ついてくるもの」である女の影を、小説を書くという行為に不可避的に付随する「自分」という幽霊であると述べて、書くことは「幽霊に付き合うこと」(p.263)と読み解く。

『センセイの鞄』とはまったく趣が違い、人間の内面に潜り込んでいく感覚を抱かせる小説。一度読んだだけではどう解釈すればよいか途方に暮れる内容で、三浦の解説を読んでああそうか、と表面的にはわかったつもりになっても、本当のところは腑に落ちない。それほどの理解を求められるのが小説ならば、自分には文学的才能がないのだな、と思うだけのこと。

真鶴で「バスは十分後」(p.207)という時間で止まってしまった空間に閉じこめられ、礼との過去を振り返り、振り返り終わったときにバスが来る。この場面は、京が心の整理を終え前を見る覚悟ができたことを示すところだが、『センセイの鞄』の「中間みたいな場所」に通じる場所のように感じた。

また、本作の「ついてくるもの」というモチーフは天童荒太の『悼む人』でも取り上げられていて、それを思い出した。

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