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『深夜の音楽会』公開収録

日時:2011/10/28 19:00-21:00
題名:『深夜の音楽会』公開収録
場所:すみだトリフォニーホール
出演:古市幸子[司会]
   沼尻竜典[指揮]
   ミシェル・ダルベルト[ピアノ]
   読売日本交響楽団
曲目:ブラームス/ピアノ協奏曲第2番
   ブラームス/3つのインテルメッツォ作品117-1(アンコール)
   ブラームス/交響曲第4番

公開収録当選したので聴きに行った。一人だったのでぎりぎりに行ったわりにいい席を確保。
無料のためか、居眠りタイムの人がやたら多かったがそれ以外は特に問題のない演奏会。
内容自体はとてもよい演奏で、二時間幸せな気分に浸れた。

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『空白の天気図』

『空白の天気図』
柳田邦男
新潮社、1975/09/16。¥880(L)

日経新聞11/08/07日曜版「半歩遅れの読書術」欄で、恩田陸に取り上げられたのを見て読んだ。

1945年8月6日の広島原爆は日本人であれば誰でも知っていることだが、その直後の9/17に鹿児島から上陸し、広島にも3000名以上の犠牲者を出す甚大な被害を出した枕崎台風については勉強不足で知らなかった。上陸地点の鹿児島より広島に大きな被害が出たのは、戦時下で治水を担うべき山の樹木を伐採したり松根を掘ったりしたことを遠因とし、終戦直後で気象予報体制も連絡体制も貧弱な中、広島原爆で身を守るすべを失った市民に水害となっておそったことが原因とされる。

本書は、この二つの災厄を、広島気象台の職員の目を通してノンフィクションとして書かれた。軍の管理下におかれ日常の天気予報さえ出せない気象台の不自由な状況、原爆の直接間接の被害、物資の欠乏などの状況下、気象台職員が職務を放棄せず、一日の欠測もなく観測を続けた様子が描かれている。1975年発刊ということで関係者がまだ存命であり、事実関係を精緻に検証して書かれていて非常に説得力のある内容となっている。

原爆投下直後から気象台職員によって積乱雲の発生と黒い雨の降雨分布図作成のための調査が実施され、後年、被爆者補償の際に大きな資料となったことや、枕崎台風襲来時、大野陸軍病院で被爆者治療にあたった京大医学部チームの主要メンバーが被災し、亡くなったことなど、今まで知らなかったことばかりで驚きの連続だった。

●異様な迫力に夢中になって読み続け、本を閉じた時にはなんとなく憑きものが落ちたような気がしたのを覚えている。過去に起きたことを掘り起こし再現するという著者の執念に圧倒され、自分のちっぽけな挫折が阿呆らしく思え、立ち上がって台所に食べるものを探しに行った。[略] このとき感じた本というものの「慰め」のパワーは、今も強く印象に残っている。(恩田、日経新聞、11/08/07)

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『「マエストロ、それは、ムリですよ・・・」 -飯森範親と山形交響楽団の挑戦-』

『「マエストロ、それは、ムリですよ・・・」 -飯森範親と山形交響楽団の挑戦-』
飯森 範親 (監修) 、松井伸幸(取材・構成)
ヤマハミュージックメディア、2009/7/20、¥1,680(L)

 山形交響楽団「山響」に、飯森が客演し、常任指揮者を経て音楽監督になるまでの過程をノンフィクション的に描いている。

 山形市という小都市でぱっとしなかった山響の良さを引き出すため、就任時に飯森はマニフェストを出し、その実行を通じて「東京の真似をしても仕方ない。山形でしか聴けない音楽を目指すべきだ」(p.46)という明確なビジョンを形にしていく。「顧客満足」という言葉こそ出てこないが、本書に通底するメッセージはまさに「顧客満足の追求」そのものであり、山響はその成功例として描かれている。
したがって、本書は単に音楽監督の話としてだけではなく、「音楽家は、サービス業です」(p.54)と言い切る飯森をモデルとしたリーダー論、経営書として読むことができるし、むしろそのように読まれるように構成されている。飯森を持ち上げすぎている感はなきにしもあらずだけれど。

●聴衆に満足してもらうためには何が必要か。
 聴衆は、山響に何を求めているのか。
 これら多くの問題から逃げずに真正面から解決にあたること、そういった気持ちを持ち続けること。
 それが、飯森がマニフェストに込めた狙いだったのである。(p.47)

●飯森の行動を取材して感じるのは、粘り強いと言うことだ。
 1パーセントでも可能性がある限り「NO」とは言わない。逆に様々な角度から見つめ直して工夫したり、考え方を切り替えて提案を実現に持ち込もうとする。(p.54)

●飯森は、決して人の悪口を言わない。
 これは、尊敬する母親からの教えでもある。悪口を言うことで、マイナス効果が周囲にもたらされることをよくわかっている。
 他にも、飯森が子供の頃から実戦していることがある。
「ありがとう」という言葉を頻繁に使うことだ。
「何に対しても『ありがとう』と思うんです。嬉しいときはもちろん、嫌な思いをしても『ありがとう』と思います。反省しなさいというこことだろうし、その足踏みが次のステップへの布石になるかもしれないでしょ」
 平たく言えば『プラス思考』ということになるのだろう。(p.67)

●飯森は、「指揮者は楽団員に決して弱いところを見せてはならない」と考えている。
 以前、飯森は、風邪気味でマスクをつけたまま練習を始めたことがある。すると、何だかカサカサした音が聞こえてきた。"オケに風邪が移った"のだ。
 目に映る指揮者の姿は、楽団員のマインドに響く。
 太った指揮者と痩せた指揮者が同じオーケストラでタクトを振れば、全く違う音が鳴るものである。客席の聴衆だって、違う演奏だと感じ取るだろう。
 指揮者の何気ないため息やあくび一つで、会場の空気は一変する。
 オケのやる気と集中力が削がれてしまうのだ。
 このあたりは、人前で話す際やビジネスシーンにも応用できる教訓に違いない。(pp.133-134)

●「[『おくりびと』の] 話が来た時点で断るのは簡単でした。でも、この映画に何かを感じて、撮影が成り立つ可能性は低かったけどどうにか実現して、最後はアカデミー賞というご褒美までいただけた。やっぱり、1%でも可能性があったら『NO』と言っちゃいけませんね」(p.141)

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『大局観 自分と闘って負けない心』

『大局観 自分と闘って負けない心』
羽生善治
角川oneテーマ21、2011/2/10、¥760(丸善日本橋)

 羽生が棋士生活25年と満40歳のまとめとして(p.7)書いたもの。

 若い頃は勢い読みで勝負することが出来るが、年齢を重ねるに従ってその衰えを「大局観」で補う必要が出てくる。本書は、大局観をどのように身につけ、対局に生かしていくかを、将棋のみに限定せず、羽生自身の人生をまさに「大局的に」捉えて述べている。
 従って、「大局観」そのものについての分析は第一章のみで、第二章「練習と集中力」第三章「負けること」第四章「運・不運の捉え方」第五章「理論・セオリー・感情」と、残りの章では必ずしも将棋のみではない生活全般・人生全般についての記述が続く。

●ただ、いつも自分に有利な局面ばかりということなどないし、その逆に、いつも悪い局面ばかりということもない。だから、必要以上に楽観することも悲観することもないし、瞬間的な出来事に一喜一憂することもないと思う。
 基本的に、ものごとは、なかなか自分が望んでいるとおりにはならないものである。(p.33)

●私は、どんなにひどいミスをしても、すぐ忘れるようにしてきた。おかげで最近は、努力しなくてもすぐ忘れられる。どうであれ、次の一日は始まるのだ。
 将棋に限らず日々の生活の中でも、一つの選択によって極端にプラスになるわけでもないし、取り返しのつかないマイナスになるわけでもない。
 地道にプラスになるような小さな選択を重ねることで、いつか大きな成果に至るのではないかと思っている。(p.51)

●[フランスで現地の人たちとレストランへ食事に行ったとき、フランス語がわからないため周りで何を話しているか理解できず困ったことを] 今北 [純一] さんに相談すると、
「そんな時は、話をしている人の目を見ていれば良いのです。そうすれば会話に参加していることになります」
 と、アドバイスしてくださった。
 それからは、言葉が理解できなくてもあまり苦にならなくなった。本当に伝えたいことがあるなら、自分の目を相手に見てもらえば、日本語で話しても会話は成立するのだ。(pp.54-55)

●私は、「続けること・継続すること」は立派な才能だと思っている。(p.77)

●手塚治虫さんは、後輩から、「どうしたら上手に漫画が描けますか?」と訊かれた時、
「どんなジャンルでも一流の作品にたくさん触れなさい」
 と、答えたという。(p.169)

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『朝5時半起きの習慣で、人生はうまくいく!』

『朝5時半起きの習慣で、人生はうまくいく!』
遠藤拓郎
フォレスト出版、2010/4/6、¥1,365

題名に釣られて衝動買い。

結論は単純。
1. 朝3時〜9時の間に太陽の光を30分〜1時間浴びることで体内時計を24時間に調節できる。
2. 睡眠サイクルは90分で、一日4時間以上、一週間に一度7時間半の睡眠を取れば十分であることが実験でわかっているので、平日は4時間半睡眠にする。
3. 日本の日照時間を考慮すると、夜1時睡眠、朝5時半起床が適切。

それができれば苦労はしないなあ、という印象。

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『「マエストロ、時間です」―サントリーホールステージマネージャー物語』

『「マエストロ、時間です」―サントリーホールステージマネージャー物語』
宮崎隆男
ヤマハミュージックメディア、2001/10/1、¥1,680(L)

知人に薦められて。

サントリーホール初代ステージマネージャーの著者によるステージマネージャーの仕事や、サントリーホールの設立の過程を描いた話。
戦後すぐの日本が貧しかったころから現代まで、どのように音楽の舞台を作り、指揮者や音楽家を舞台に送り出してきたか、裏方としての仕事の苦労が語られる。また、サントリーホールを作るにあたって、「ホールそのものが楽器と呼べるような、理想のホールを作りたい」(p.42)という佐治敬三氏の夢をかなえるため、カラヤンらの助言をもとにワインヤード・タイプ(ブドウ畑型)のホールを作り、カラヤンに「感激したよ。このホールは"音の宝石箱"のようだね」(p.120)と言わしめたエピソード等、裏方としてすべてを見てきた著者だからこそ書ける話を知ることができる。

 小沢征爾さんは特にそうだが、一流と称されるほどの人物はスタッフを本当に大事にする。ソリストやオーケストラ・メンバーだけではない。わたしのような舞台係や照明係まで尊重してくれるのである。
 当然、聴衆をも大切にしているのだが、根底にあるのは音楽に体する愛だろう。それを感じるからこそ、だれもが心のうちに大いなる豊かさを味わえるのだと思う。(p.158)

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『いい音ってなんだろう』

『いい音ってなんだろう』
村上輝久
ショパン、2001/1/10、¥1,575(L)

知人に薦められて。

ヤマハピアノの調律師の著者による自伝的な話。調律師の仕事内容、なるまでの経歴、なってから様々なピアニストの調律に携わった経験談などが語られる。
戦後まもなく、まだ日本のヤマハピアノが認知されていなかった頃から、著者ら日本の調律師の尽力で次第にヨーロッパの有名ピアニストにヤマハピアノが使用される過程が描かれ、先人の努力に頭が下がる。
また、ピアノの状態はそれこそ日々刻々と変わるため、ピアニストの要望に応えるために限られた時間で最高の状態に調整する調律師の存在がいかに重要か、裏方の存在がいかに音楽を作る上で重要かということを初めて知った。

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『センセイの鞄』

『センセイの鞄』
川上弘美
文春文庫、2004/9/3、¥560(有隣堂亀戸)

週末旅行中に読むのにちょうどよい加減の本を探していて、書店で購入した一冊。
川上弘美の小説は本書が初めて。

37歳の大町ツキ子が、行きつけの飲み屋で高校の時に国語教師だったセンセイと出会ってから5年間の出来事を「あわあわと」したタッチで描いた物語。

季節季節の物語が、静かな時間の流れの中に紡がれる。登場人物それぞれがそれぞれに色合いを出していて、ツキ子とセンセイの二人を中心としながらも、飲み屋の主人サトルさんや、高校の時の同窓生小島孝、出奔したセンセイの奥さんなど、この人たちは何を思いながら日々を送っているのだろう、と思いを馳せてしまう。

途中でどことは知れない場所「干潟」でセンセイとツキ子が酒を交わす場面が出てくる。センセイみずから「中間みたいな場所」言っていて、一応夢の中、という解釈なのだろうけれど、この世とあの世を繋ぐ場所として解釈したものか、よくわからなかった。解説で木田元が、川上の小説は時間がまっすぐ流れないことについて述べているが、人物の心象で描いているので確かにそのような印象を受ける。この場面もその一つだった。

最後の一節で、センセイの形見にもらった鞄を時に開き、「ただ儚々(ぼうぼう)とした空間ばかりが、広がっているのである」と語られるとき、ツキ子の喪失感と重なって、その何もない空間の圧倒的な存在感が胸に迫る。

読む前は時間つぶしにちょうど良い小説くらいにしか思っていなかったが、読了後の余韻がすごくて、三日経ってもまだ醒めない。何だかすごい小説を読んだ気がする。

「センセイ」とわたしは小声で、ため息のかわりに、言った。
「センセイ」
 川からは秋の夜の空気がたちのぼってくる。センセイおやすみなさい。I♡NYのTシャツ、けっこう似合ってましたよ。風邪がすっかりなおったら、飲みましょう。サトルさんの店で、もう秋だからあたたかいものをつまみに、飲みましょうね。
 何百メートルかへだてた場所に今いるセンセイに向かって、わたしはいつまででも話しかけた。川沿いの道をゆっくりと歩きながら、月に向かって話しかけるような気分で、いつまででも、話かけつづけた。(pp.237-238)

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『オケ老人! 』

『オケ老人! 』
荒木源
小学館文庫、2010/12/7、¥730(有隣堂亀戸)

週末旅行中に読むのにちょうどよい加減の本を探していて、書店で購入した一冊。
『ちょんまげぷりん』の著者によるアマチュアオーケストラ小説。

市の文化センターでたまたま聴いたコンサートに触発された中島明彦は、そのアマオケに入るつもりが間違って老人ばかりでまともに弾くこともできない梅ヶ岡交響楽団に入ってしまう。
やめるきっかけをつかめないままずるずると付き合ううち、さまざまな事件が起こり、問題を抱えながらも団員が増え、老人達の腕も上がってドボルザークの『新世界』を演奏するまでになる。しかし、そこにはロシアのスパイが秘密を狙って潜入している。

『ちょんまげぷりん』とはまた違った趣の現代小説で、中島が振り回されながらも次第に成長していく様子がテンポよく描かれている。著者はバスーンを演奏するようで、作中音楽的な内容も非常に具体的で説得力がある。本書を読むとなんとなく楽器を演奏したくなってくるのが不思議。

 かつてのぼくは、個人的な事情という者を軽蔑していたように思う。誰にでも、どこででも通用しなければいけない。客観的に見ていいものでなければならないと考えていた。
 だがそれは何のためになのか。音楽を聴くのも演奏するのも自分が楽しむためだ。少なくともアマチュアにとってはそうだ。もちろん人に楽しんでもらうのも喜びだけれど、最初にあるのは自分だ。[略]
 そしてもう一つ、矛盾しているみたいなのだけれど、その下手くそな演奏に、世界中の人を感動させる力が秘められている、とも思い始めた。
 確かにほとんどの人は眉をひそめるだろう。何だよこれ、と怒り出すかもしれない。ぼく地震がそうだったように。
 その魅力を理解するのはそう簡単ではない。聴く側にもテクニックが必要なのだ。そのための訓練も積まなければならない。だが耳を持った人は、そこに演奏する者の喜びや怒りや悲しみ、哲学やものの考え方、その人が生きてきた歴史を聞き取るだろう。つまるところ人生そのものが音楽の中に響き合っている。そして愛がある。いったい梅響の老人たちほど混じりけなく音楽を愛している人々がいるだろうか?(pp.376-377)

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