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『うずまき猫のみつけかた』

『うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル』
村上春樹
新潮社、1996/05/24、¥1,890(借)

『やがて哀しき外国語』の続編。そうはいいながら、村上が自分で述べている通り、前著とはだいぶ趣が違い、適度に緩んだ本になっていて、アメリカ生活を楽しんでる感じがよく出ている。今まで読んだ中では、奥様の話が結構出ていて、意外に思ったのと、安西水丸さんの挿絵と奥様の撮った写真が豊富で、それも一つの魅力になっている。非常に気軽に楽しく読めたので、できれば再読したい。

小説を書くというのは、だいたいにおいて地味に寡黙な仕事なのである。[略] 「でもね、作家があまり健康的になってしまうと、病的な暗闇(いわゆるオブセッション)がからっと消えてしまって、文学というものが成立しないのではありませんか」と指摘する人も中にはいる。しかし僕に言わせていただければ、「それくらいで簡単に消えてしまうような暗闇なら、そんなものそもそも最初から文学なんかになりませんよ」ということになる。そう思いませんか?だいたい「健康」になるというのと、「健康的」になるというのは、これはぜんぜん違う問題なのであって、この二つを混同すると話がちょっとややこしくなる。健全な身体に黒々と宿る不健全な魂だってちゃんとあるのだ—と僕は思う。 というわけで、この本の基本的メッセージは「一に足腰、二に文体」です。それがどうしたというものでもないんだけど、とりあえず。(p.009)

ところでその後[ニクソンの死後]でニクソンの死を報じる雑誌を読んでいたら、彼が日頃口にしていたというこんな言葉が載っていた。
"Always remember, others may hate you, but those who hate you don't win unless you hate them."
「このことをよく覚えておきたまえ。もし他人が君を憎んだとしても、君が相手を憎み返さない限り、彼らが君に打ち勝つことはないんだよ」とでも訳せばいいのだろうか。シンプルだけれど、なかなか味わいのあるいい言葉だ。僕はこれを読んで「ああこの人もこの人なりに苦労をしたんだな」と思った。(p.026)

僕は学校を出て以来どこの組織にも属すことなく一人でこつこつと生きてきたわけだけれど、その二十年ちょっとのあいだに身をもって学んだ事実がひとつだけある。それは「個人と組織がけんかをしたら、まず間違いなく組織のほうが勝つ」ということだ。(p.065)

ひどい場合には、長い間アメリカに住んでいると日本語がおかしくなるだろうと決めつける人までいる。たしかに新しい流行語みたいなものには疎くなってくるけれど、でもそんなもの知らなくてもとくに通用は感じないし、だいたい日本に住んでいたって流行語のことなんかほとんど知らないのだ。それにたかが四年や五年国を離れたくらいで母国語が狂ってきたら、そもそも作家なんかやっていられないだろう。「まあ少しくらい日本語が狂ってきても、それはそれでいいじゃないか」と個人的には思わなくもないけれど。(p.100)

でも文章を書く時でもそうだけれど、人間いつもいつも調子がいいとは限らないものである。長くやっていれば、山もあれば谷もある。調子の悪いときは悪いなりに、自分のペースを冷静に的確につかんで、その範囲でなんとかベストを尽くしてやっていくというのも、大事な能力才能のひとつであろうと思う。そんなに無理をしないで、首をすくめてこつこつとしのいでやっていれば、そのうちにまた少しずつ調子は戻ってくるのだから。トシのせいか、僕も最近はだんだんそういう巨人の落合選手的な心境になってきた。(p.185)

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