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『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』

『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』
万城目学
ちくまプリマー新書、2010/1/27、¥903(TSUTAYA東大島店)

発刊当初は見送ったが、地震後の落ち着かない今、こういったおだやかな本を読みたくなり、購入。

小学校一年生のかのこちゃんと、居候猫のマドレーヌ夫人をめぐる日常の非日常的なできごと。刎頸の友となったすずちゃんとの出会いと別れ、猫又になってかのこちゃんに恩返しするマドレーヌ夫人、飼い犬の玄三郎とマドレーヌ夫人の犬と猫の不思議な夫婦の日々、などが無理に盛り上げる場面を作らず、淡々と描写される。
自分も一年生の頃はこうした不思議な出来事を信じていたんだろうなぁ、と昔を懐かしく思いながら読んだ。

なお、かのこちゃんのお父さんは、鹿に言われて「かのこ」という名前を娘につけた、という場面が出てくる。このあたりは『鹿男あをによし』との関連を読者に連想させる。

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『プリンセス トヨトミ』(映画)

11/05/28
『プリンセス トヨトミ』
109シネマズ木場
出演:堤真一、綾瀬はるか、岡田将生

万城目学の原作映画化。

原作を読んだとき、『鴨川ホルモー』、『鹿男あをによし』より少し面白さが劣るかな、という印象だったが、映画を見ても、その印象は変わらなかった。
決して面白くない訳ではないが、今ひとつ物語世界の完成度に欠けるような気がした。話が大きくなっている分すべてを説明するのは難しいのかもしれないが、たとえば、大阪が全停止した時大阪に来ている非大阪民はどこへ消えたのか、35年前の赤い大阪城の理由、富士山の十字架の理由、など積み残された謎が多くすっきりとしない印象。

ただ、父親と息子の男同士の絆を原作よりも強調する演出は、それらの欠点を上回る感動を生むことに成功している。「それが死を覚悟した父の言葉だから」息子はそれを信じる、と言う大阪国総理大臣の言葉は、そのまま自分に対する問いとして答えられなければならない。

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『心臓に毛が生えている理由』

『心臓に毛が生えている理由』
米原万里
角川文庫、2011/4/23、¥580(八重洲BC)

色々な媒体に書かれたエッセーを集めたもの。時期も媒体も異なるため、まとまった印象の本ではない。
米原が他の著作で深く述べている思想の表面的な概略を知るにはよい。
特に、本書には「『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた理由」と「対談 プラハ•ソビエト学校の少女たち、その人生の軌跡」という項目があり、同書を読むのと同時に本項を読むと、より深く彼女の小学校時代を追体験することができるだろう。

一流ホテルに宿泊し観光名所だけ廻っていれば名誉白人扱いされるので気づきにくいが、その枠を超えて踏み込もうとしたときに必ず突き当たる壁だ。東洋人に対する[ポーランド、チェコ、ハンガリーの]冷酷な仕打ちは西欧のどの国よりも露骨な気がする。(p.59)

ちなみに茸中毒による落命者リストには、カリグラとネロという二人の暴君の狭間にローマ皇帝となったクラウディス帝、英国王ヘンリー八世を破門したローマ教皇クレメンス七世、フランス王シャルル六世等錚々たる人々が連なる。なお、メジチ家とボルジア家というルネサンス期を代表する両名家秘伝の毒薬リストにももちろん毒茸は含まれていた。
「先生、どの茸も食べられますか」
「もちろん、どの茸も食べられますよ。ただ、茸によっては、一度だけしか食べられないものもあります」
というわけである。くれぐれもご用心を。(pp.75-76)

 比較文学者の平川祐弘先生が、「せれね」という新聞の本[2002]年一月一日号に掲載されたエッセイを送ってくださった。[略]
 日本人を含めてなべて東洋人が口べたなのは、「昔から科挙などで筆記試験に慣れてきたせいだろう。それに反し、西欧人は口頭試問で鍛えられてきた」と、ここまではわたしと同じ論旨なのだが、平川先生は、「それは紙が少なかったからだ」という。西洋では紙が非常な貴重品で、「第二次世界大戦中の米国兵は一日一回四片の割り当て」「一八世紀に来日した西洋人は日本人が和紙で鼻をかんで捨てるという贅沢に一驚している」。「ケンブリッジ大学で筆記試験が始まったのは、数学は一七四七年、古典は一八二一年、法律と歴史は日本暦の明治五年にあたる一八七二年とたいへん遅い」というのだ。
 通訳は、[略] 論理的な文章はかなり嵩張ったとしてもスルスルと容易に覚えられるのに、羅列的な文章には記憶力が拒絶反応を起こすのだ。
 要するに、論理性は、記憶の負担を軽減する役割を果たしているわけで、文字依存度が高い日本人に較べて、それが低い西欧人の言語中枢の方が論理的にならざるを得ないのではないだろうか。(pp.125-126)

たしか塩野七生さんが、アラン•ドロンの食卓マナーがあまりにも完璧なことが、かえってその出自の卑しさを証している、マナーを自家薬籠中の物にした人はもっと崩すものだ、というようなことをエッセーの中で述べているのを思い出した。

帰国子女のわたしには、まだきちんとした正しい日本語が精一杯。それをくずせるほどまでには身についていないということなのだと、深く肝に銘じたのだった。(p.130)

金田一春彦先生によると、日本では伝統的に、家族の中の最も幼い者の立場から家族の成員の呼称が決まって来るということである。(p.146)

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『リーディング3.0 ―少ない労力で大きな成果をあげるクラウド時代の読書術』

『リーディング3.0 ―少ない労力で大きな成果をあげるクラウド時代の読書術』
本田直之
東洋経済新報社、2011/4/22、¥1,575(八重洲BC)

レバレッジリーディングのクラウド編ということで購入。
内容はレバレッジリーディングの焼き直し。iPhone、iPad、キンドル、エバーノート、Facebook、Twitterを使いこなし、クラウド時代の情報収集ノウハウを身につけよう、というものだが、ほとんど目新しい内容はない。ただ、忘れかけていたレバレッジリーディングの復習にはなった。

スクリーニング値からを高める貴重な情報源として重宝しているのが、『月刊経営予測エイジ』『クーリエ•ジャポン』『選択』の3誌です。(p.130)

オーディオブックではありませんが、「著者の生の声を聴く」という観点でわたしが気に入っているウェブサイトは「TED」です。TEDことTechnology Entertainment Designは、カリフォルニアで「TEDカンファレンス」という講演会を開いている組織で、サイトではその模様を無料配信しています。[略] 経営者や技術者や学者やアーティスト、優れたビジネスパーソンのスピーチが家に居ながらにして楽しめます。(p.138)

『7つの制約にしばられない生き方』という本の企画をひらめいたとき、わたしは[twitterで]こうつぶやきました。
「もし、何か一つ制約がなかったとしたら、あなたはどんなライフスタイルを送っていますか?それを実行するために、今足りないものなんですか?この質問に答えれば、ストレスフリーでハッピーなライフスタイルを送るヒントがきっと見つかります」(p.155)

[twitterアプリ]「HootSuite」の便利な点は、自分がリンクを貼ったものがどれだけクリックされたを確認できる点です。(p.158)

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『万能鑑定士Qの事件簿VIII』

『万能鑑定士Qの事件簿VIII』
松岡圭祐
角川書文庫、2011/2/25、¥540(L)

凛田莉子シリーズ8巻。台湾人が開発したという夢の淡水化設備を波照間島の議員が12億円で買うことになる。もしそれが詐欺だったら、波照間島のある竹富町は破産する。莉子はそれを聞いて不審に思い、真相を知るために同級生二人とともに台湾へ行く。

今回淡水化設備のトリック自体は非常に安直で、中国語と日本語の同形異義を使ったもの。パリの時と同様、台湾をどうしても使いたかっただけではないか、と感じた。そろそろシリーズも息切れしたのかもしれない。

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『海炭市叙景』

『海炭市叙景』
佐藤泰志
小学館文庫、2010/10/6、¥ 650(有隣堂亀戸店)

以前読んだ岡崎武志の『読書の腕前』で取り上げられていていつか読もうと思っていた。長らく絶版だったが、映画化を機に復刊されたので買った。

函館市をモデルにした海炭市を舞台に、そこに住む人々の物語を描いた18の短編を集めたもの。『読書の腕前』でも触れられた冒頭の「まだ若い廃墟」は、全編の中で最も印象的な物語ではあるが、本書全編にわたる暗い調子を決定づけている。本書のトーンが暗いのは、海炭市の人々の生活をそのように描いているからという理由と同時に、著者の心中も同様に暗さに覆われていたためではないかと感じた。これが彼の絶筆になったからそう感じるだけかもしれないけれど。


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『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる 』

『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
佐々木俊尚
ちくま新書、2011/2/9、¥945(くまざわ書店 船堀店)

マスメディアから個人への一方的な情報の流れという時代は終わり、個人がそれぞれのビオトープ(岡田斗司夫のいう島宇宙化したオタクの世界のようなもの)で情報を交換するようになった。バブルの頃の背伸び記号消費(「いつかはクラウン」のような皆が共有した物語上の記号)は崩壊し、コンテキスト(物語)が消費を駆動する。消費は、承認と接続のツール(p.115)となり、コンテキストをもとめてキュレーション(つながりや物語を作り上げる視座)が重要になる。

本書の内容はタイトルと同じ見出しを持つ第四章「キュレーションの時代」でほぼ尽くされており。他の章は読む必要がない。論の展開は、無用に多く提出され必要以上にページが割かれている例(ジスモンチ、福井の眼鏡店、フォースクエア、利休、シャガール、ヘンリーダーガー、etc)や、氾濫するカタカナ用語(ビオトープ、キュレーション、アンビエント、チェックイン、セマンティックボーダー、etc)のため非常にわかりづらい。

主張自体は、今はキュレーションの時代、すなわち、新しい物語を提示してくれる人(キュレーター)の視座を共有してコンテキスト(物語)の中に身を置き、新しい情報収集や消費をする時代だ、ということで、それほど複雑ではない。ただ、その主張を読者に理解させるというより、色々勉強したことを単に書きたいというペダンチシズムに陥っているように見え、しかもそちらが主になってしまった印象があり残念。

著者は、ビオトープ化した個人は、次々に視座を変えることでそれぞれがタコツボ化することは避けられる、と主張するが、現実に進行しているのは、岡田斗司夫が『オタクはすでに死んでいる』で論じていた島宇宙化してお互いの行き来がなくなったオタク世界が、オタクの枠を越えて全面化した世界のように思える。

また、著者は、記号消費の時代が終わり、つながりを求める時代になった、という。しかし、それは、記号消費が終わったのではなく「福井の小さな田中眼鏡本舗でコンセプトYの眼鏡を買う自分って他の人と違うよね」という記号の消費になっただけではないか。マスメディアが流す記号が失効し、島宇宙化した情報流通の中での記号が消費されるようになったという可能性はないのか。つまり、著者は「キュレーション」は記号消費の世界から逃れているという前提に立っているが、それは本書中では立証されていないように感じる。

全体的に、枝分かれした議論が多すぎて、もやもやとした読後感になった。

「洋楽を好きな人」「Jポップを好きな人」「クラシックを好きな人」「ジャズを好きな人」はそれぞれビオトープ化し、言い換えればオタク化してさまざまな圏域を作り出している。そういう時代がやってきたのです。そこには「クラシックオタク」がいるだけで、「クラシックを聴いているハイソな人」というのはもはや笑いのネタでしかない。(pp.114-115)

社会との関係は接続と承認が中心になり、その接続・承認を補強するための手段として、いまやモノは買われているということなのです。この消費社会の大きな地殻変動を理解しなければ、これからの広告、これからの情報流通はもはや語れません。(p.126)

マスメディアの衰退とともに記号消費は消滅していき、二十一世紀は「機能消費」と「つながり消費」に二分された新しい世界が幕を開けるのです。(p.128)

情報が流れるということは、情報を得るという即物的な機能だけではなく、そこに「情報をやりとりすることで人と人とがつながる」という共鳴が同時に成り立つような、そういう時代になってきている。(p.203)

「視座」を提供する人は今、英語圏のウェブの世界では「キュレーター」と呼ばれるようになっています。そしてキュレーターが行う「視座の提供」がキュレーション。[略]
[学芸員の意味で使われるキュレーターの行いは]情報のノイズの海からあるコンテキストに沿って情報を拾い上げ、クチコミのようにしてソーシャルメディア上で流通させるような行いと、非常に通底している。だからキュレーターということばは美術展の枠をはみ出て、いまや情報を司る存在という意味にも使われるようになってきているのです。(pp.210-211)

情報のノイズの海の中から、特定のコンテキストを付与することによって新たな情報を生み出すという存在。それがキュレーター。
あるアメリカ人のブロガーは「コンテンツが王だった時代は終わった。いまやキュレーションが王だ」と書きました。
一時情報を発信することよりも、その情報が持つ意味、その情報が持つ可能性、その情報が持つ「あなただけにとっての価値」、そういうコンテキストを付与できる存在の方が重要性を増してきているということなのです。(pp.241-242)

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『小説家の作り方』

『小説家の作り方』
野崎まど
アスキーメディアワークス、2011/3/25、¥ 557

『ビブリア古書堂』の巻末広告に載っていたので買ってみた。

駆け出しの小説家のところに「世界一面白い小説のアイデアをひらめいた」と書かれたファンレターが届く。怪しみながらも会って教えることになる。

途中まで普通の小説のような進行だが、突然SFになり、現代ではありえない展開になり意表をつかれる。このあたりがラノベレーベルで出ている理由だろうが、この展開はあまりにも突飛なので賛否がわかれるかもしれない。

小説の書き方について述べられているところは、著者自身を模したような主人公が小説とは何かをもう一度おさらいしながら書いたと思わせる。本格的な小説作法とはいかないが、その一端を知ることはできるようになっている。

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『ちょんまげぷりん 2 』

『ちょんまげぷりん2』
荒木源
小学館文庫、2010/8/5、¥ 580

前作から8年経ち、遊佐友也は14才。コンビニで万引きしたあとの逃走中、今度は友也が水たまりにすいこまれ、180年前にタイムスリップ。
木島安兵衛を訪ねて歩くと、幼いころの勝海舟とその姉に会う。菓子屋を営んでいるはずの安兵衛は行方不明になっており、彼を探すうちに歌舞伎役者になったり牢屋に入れられたり波瀾万丈。
色々あって安兵衛と将軍の前でぷりんを作ることになる。

前作と若干トーンが違う。友也が成長しているせいかもしれないし、話の流れが偶然に頼りすぎているからかもしれない。おそらくこのシリーズは2で打ち止めだろう。

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『R.O.D 11』

『R.O.D11』
倉田英之
集英社スーパーダッシュ文庫、2006/2/24、¥ 540(L)

約束の地に集まる主要人物。ヤングメン、おばあちゃん、読子ほか。
核攻撃を狙うジョーカー。

2011/05/09現在シリーズ最終巻で、出版から5年経ってもまだ未完。
著者が自分で広げた風呂敷をうまくまとめられないので放り出したと邪推する。
おそらく完結しないだろう。

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『R.O.D 10』

『R.O.D 10』
倉田英之
集英社スーパーダッシュ文庫、¥ 500(L)

外伝。読子が女子高に潜入し、本を探す。

文体が激変。著者の文体に乗るまでが辛い。

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『R.O.D 9』

『R.O.D 9』
倉田英之
集英社スーパーダッシュ文庫、2004/2/25、¥520(amazon¥246)

ヤングメンの破壊行為。
読子とドニーのなれそめ話。

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『R.O.D 8』

『R.O.D 8』
倉田英之
集英社スーパーダッシュ文庫、2003/7/25、¥540(L)

読子は読仙社にとらえられ、おばあちゃんとの話し合いの末ジェントルメンを呼び出す役目になる。
ナンシーは捕らえられた潜水艦からイギリス潜水艦に脱出する。

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本当は怖いアマゾンの話

http://oharakay.com/archives/2490

アマゾンもやってることはグーグル八分と同じということか。

で、アマゾンは、平積みの棚を持つ書店ではないが、このコアップの制度を取り入れてオンライン書店のトップページを配置しているというわけだ。これはアマゾン・ジャパンも同じ。売れ筋、今話題の本、注目の新刊、そんな言葉の裏で取引が行われている。

既に4〜5年も前からアマゾンは各出版社にコアップ料金の引き上げを要求していて、応じなければアマゾンは、全くディスカウントしないとか、キャンペーンに含めないとか、最悪の場合、検索エンジンを操作して、著者名やタイトル名をきっちり正確に入力しないと検索に引っかからない、などの小細工もやっていたことがわかっている。

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『映画の構造分析―ハリウッド映画で学べる現代思想』

『映画の構造分析―ハリウッド映画で学べる現代思想』
内田樹
文春文庫、2011/4/8、¥620(三省堂本店)

ひまつぶしに買った。
「エイリアン」が、表のストーリーでは女性ヒロインの活躍を描く一方で、裏では執拗に女性を性的に屈服させる男性的記号がちりばめられている、という話や、アメリカの女性嫌悪文化(ミソジニー)が、西部劇の時代の圧倒的男性過多で男性同士の絆を確かめるために女性を悪者にするという20世紀初頭の西部開拓終演の時代の説話原型にさかのぼる、と行った話など、今まで考えたことのない視点による話が興味深かった。

 ウラジーミル•プロップという学者は『昔話の形態学』という研究で、ロシアの民話を収集して、そのすべてについて構造分析を施したことがあります。その結果、登場人物のキャラクターは最大で七種類、物語の構成要素は最大で三十一という結論を得ました。
 「家族の誰かが行方不明になる」「主人公はその探索を命じられる」「贈与者が呪具を与える」「呪具を利用して移動する」「悪者と戦う」「主人公の偽物が現れる」……などなどです。[略]
実は私たちが「面白い」と思ってどきどきするストーリーラインというのは、たいていの場合、昔からある いくつかの「必勝」パターンをなぞっているにすぎないのです。ですから、物語の構造分析というのは、無数の物語が実は有限数の物語構造を反復しているにすぎないということ、ロラン•バルトの言葉を借りていえば、「私たちの精神の本質的な貧しさ」をあらわにする作業でもあります。(pp.26-27)

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『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』
ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、ジャン=フィリップ・ド・トナック(進行役)、工藤妙子 (翻訳)
阪急コミュニケーションズ、2010/12/17、¥ 2,940(八重洲BC)

八重洲ブックセンターの新刊書のところに黒い表紙で目を引いたので買った。
エーコとカリエールの対談形式でインキュナビュラから電子書籍まで、珍本稀覯書や人類の記憶といった幅広い話題について彼らの知識を駆使して語られる。まさに碩学という言葉が当てはまる二人なだけに、ほとんどついていけない。原書タイトルは「本から離れようったってそうはいかない」(p.452)とのことで、必ずしも日本語タイトルのように電子書籍に置き換わる、といった単純な内容ではなく、単に本好きの爺二人が喋りたいことを喋った、という感じ。
書物は、発明された瞬間に完成されたもので、それ以上発展の余地のないものだ、というのが二人の持論。

エーコのなぜ本を読むのかの理由が、今まで漠然と自分が感じていたことと同じで感動した。また、本書を読んで、古本にさらに興味がわいた。

エーコ:子供の頃、近所に住んでいた女性が毎年クリスマスに本をくれました。あるとき、その人に訊かれたんです。「ねえ、ウンベルトちゃん、あなたは本に何が書いてあるか知りたくて本を読むの?それとも読むのが好きだから本を読むの?」。そして私が認めざるをえなかったのは、読んでいる本にそこまで興味がなかったときもあったということです。私はただ読むのが好きだったから、何でもかんでも読んでいたんです。これは子供心にも衝撃的な大発見の一つでしたよ!
カリエール:人生を愉しむことが人生の目的になりうるように、読む愉しみそのものが読書の目的になることもあるんdねすね。ただ映像が観たいから、つまり何かしら動いているのが観たくて映画館に行く人たちもいますよ。映像の中身や物語なんかは、しばしばどうでもいいんですね。(pp.374-375)

カリエール:インドの場合は、また事情が違います。たしかに聖典は存在しますが、口承で伝わっていることのほうがずっと強い威信を帯びつづけています。口承で伝わったことのほうが、今日でも、より信頼性が高いと見なされているんです。なぜでしょうか。古代の歌や詩はグループで詠唱されるものだったんです。グループで詠唱する場合、誰かが間違えても、他のメンバーがいますから、間違いを指摘してやることができます。したがって、先年近く続いてきた口承で伝わってきた偉大な叙事詩は、写字室で僧侶たちが手書きで古文書から書き写した西欧の聖典より正確なのです。手で書き写す場合、前任者の書き間違いはそのまま引き継がれますし、書き写されるたびに、新しい間違いも加わっていったでしょうからね。(P.390)

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