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『電子出版の構図』

『電子出版の構図―実体のない書物の行方』
植村八潮
印刷学会出版部、2010/7/9、¥2,100(L)

以前、電子書籍に関する著者の講演を聞いたので読んでみた。
業界雑誌である『印刷雑誌』に1999年から2010年まで掲載された記事をまとめたもので、本書用に書き下ろされたものではないため、タイトルに沿って一貫した構成にはなっていない。従って、「構図」とはいいながら、現在の電子出版を巡る状況の俯瞰図といったものではなく、この10年間の電子書籍・電子出版の歴史といった趣になっている。ただ、著者自身出版編集者でなので、電子書籍の特性に対する深い洞察は、大変参考になった。

著者の最も重要な主張は、ユーザーはパッケージに対価を支払うのであって、コンテンツには支払わない、というものだ。この考えに従えば、電子書籍のコンテンツでビジネスをするのは難しいということになる。実際、アマゾンは電子書籍売上よりもキンドル売上によって利益を上げていること(p.267)が指摘される。

EPIC2014についての記事があり(p.158)、2005年頃だったのか、と久しぶりに思い出した。当時の予測はグーグルゾンだったが、今となってはfacebookやtwitterなどむしろビッグブラザーから離れる方向に時代が進んでいるのを見ると、未来予測の難しさを実証していると言えるだろう。

新しいメディアが登場すると必ず世代区分が生まれる。物心ついたときに、そのメディアがあったか、否かである。2歳半の子供にとってクレヨンを使うのとマウスのドローイングに違いはない。一方、評価や批判から入るのが旧世代である。インターネットに対して、ちょっとヒステリックな批判と賛同を耳にするが、大概が未知のものに出会ったときの旧世代の「興奮した」反応である。90年代のインターネットは、きっと50年代のテレビがもたらした興奮と混乱に匹敵するのだろう。(p.28)

本の値段は、よく「紙刷り製本」と言われる。文字通り、紙代、組版印刷代、製本代を印刷部数で割った値段が基本である。『情報様式論』の中で、マーク・ポスターは「消費者達は書籍の製造に対して支払っていたのであって、公共図書館でただで利用できるその中の情報には支払わない」「情報はそれが出荷されるパッケージと分離できないものであり、このパッケージに価格票がついていたのである」(岩波書店)と書いている。
作り手はパッケージングの費用から価格設定し、読者もパッケージにお金を払っている。[略] 読書体験に値段が付けられないように、コンテンツに値段はつかないのである。(p.50)

一方、『コンピュータ音楽』の訳者たちは、高くてもいいからデジタルデータがほしいと言う。彼らは時に、「所有する本」ではなく、「使用する情報」を専門書に求めているのである。電子書籍に向いた分野と言える。(p.66)

鉛活字を複雑に組み上げ、長短様々なインテルがその間を正確に支えている。整然と並ぶ活字群を見ていると、手の技だけでなく、長い年月の間に築かれた活字組版の技術に感嘆する。最後に凧糸で縛り上げ印刷機で紙にインクが転写されると、紙の上に残るのは文字が伝える世界だけである。もはや読者の前には重厚な鉛活字も複雑な組版技術もない。読むときは意識しないと書いたが、だからこそ完成度の高い技術であると言ってよい。
コンピュータ用語にトランスペアレントという言葉がある。ソフトやハードの存在が利用者から見えない、気づかれない、つまり文字通り透明になっているという意味である。[略] 技術の完成度が高いため存在が気づかれない、とも言える。(pp.74-75)

時計のデジタル化で先行した日本は世界市場を制覇し、勢い余って行き着いたところが低価格化という不毛の地であった。量を追わなかったヨーロッパの時計メーカーが今、脚光を浴びている。メジャーになって苦しむのか、希少性でマニアの満足の中に生きるのか。どちらが正解かわからない。ただ一つ言えるのは、デジタル化は進化ではなく淘汰なのだ。(pp.108-109)

一頃、騒がれたマルチメディアの先にやってきたのは文字の時代だったのである。では、その文字文化は、印刷時代と変わらなかったのか。
ノーだ。インターネットはギャランティ型ではなく、ベストエフォート型であると言われる。[略] 重要なのはもはや信頼性ではない。インタラクティブであること、品質よりもオンデマンドであること。読者は同時に執筆者であり、参加できるメディアが人気を得ているのだ。[略]
文字の信頼性を保証するのは紙に残された領域なのだ。ただし、信頼性が一番重要なものではないくなっていく時代がきている。(p.177)

内藤みかさんに「ケータイ小説を書く際に意識していること」をメールで質問したところ、「読者との心理的距離を非常に近くにおいてます。親友のようなつもりで書いています。メールに類似したノリを意識しています」と返事をくれた。親友へ携帯メールを出すように書く、というのである。(p.196)

日本の複写権管理団体の徴収額は1.5億円にすぎない。一方、欧米では著作権集中処理機構における収入源としては、教育機関が高い比率を占めている。日本複写権センターが行った海外調査によると、英国105億円(新聞は別に37億円)、仏国41億円、米国120億円、人口わずか464万人のノルウェーでも38億円になる。最も古い歴史を持つ出版社オックスブリッジの国、英国では105億円のうち、20.5億円を初等・中等教育機関、26億円を高等教育機関の学校予算で支払っている。
日本は読者を保護するためでなく、経済団体の強い意向により、著作権使用料がきわめて低く抑えられている。欧米では、よりよい教科書・教材製作のための執筆費や編集費が豊富な著作権使用料によって支えられている。結果的に有効な権利処理システムが構築され、現場では他人のよい著作物は積極的に利用されている。そこには著作権を認め対価を支払うことで、新たな著作活動が行われるという、よい循環がある。(pp.200-201)

米国出版業界の現状として、書籍返品コストによる経営圧迫があり、過去の出版物の在庫増も負担となっている。そこに加えて、アマゾンやバーンズ&ノーブルなど大手書店による書籍流通の寡占化が脅威となってきている。日本と異なり米国は大手の取次がなく、版元と書店の直接取引が多い。このため卸正味が個別交渉となり、勢い多量部数を買い付ける大手書店が優位となっている。しかも米国では再販制度がないこともあり、書籍の価格決定権が書店に握られつつあるのだ。そこで電子書籍ならば取次や書店を飛び越して、出版社と読者を直接結ぶことが期待されるのである。(pp.215-216)

もちろんデジタル革命の進展によって印刷出版物の相対的価値はますます下がるし、その市場規模も宿命的にシュリンクしていくだろう。その際、出版の世界で守るべきものは会社組織や産業ではなく、表現の自由であり、人々の知る権利を守る活動なのだ。この活動に関わるからこそ、出版社の存在意義がある。(pp.217-218)

ウェブ情報の多くはリンクによって他のWebサイトに飛んでいくだけである。ひとたび情報の出所を求めてリンクをたどり続けても、情報の自己組織化の海で溺れるだけである。情報源の総量が変わらないのに、引用とリンクによる情報の自己増殖で消費量が増えているだけではないか。水増しされた情報の洪水に飲み込まれているような恐怖である。情報量は増えていない。いささか恐ろしいが現実かもしれない。
本を読むことが知恵や知識に転換できた時代と比較すれば、Web情報が知恵や知識として転換できるシステムを私たちは持ち得ていないのだ。そしてグーグル検索は、ウェブ情報が本来的に持つ自己増殖システムの中心装置であって、決して知識として私たちに届けてくれる装置ではない。(pp.265-266)

キンドルの累計販売台数は300万台といわれている。段階的に値下げしてきたが、現在の販売価格259ドルから類推すると750億円程度の売上である。これを自社サイトで直販しているのである。一方、アマゾンの電子書籍売上は150億円程度である。概算にすぎないが、電子書籍の5倍の売上をキンドル販売で手に入れているのである。電子書籍を「釣り餌」に、儲けているのだ。(pp.267-268)

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