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『座右の諭吉 才能より決断』

『座右の諭吉 才能より決断』
齋藤孝
光文社新書、2004/11/20、¥735(BO ¥105)

福沢諭吉の『福翁自伝』を題材に、そこから人生の教訓を引き出す。
齋藤の読み方ではあるが、『福翁自伝』は自伝と思っていて教訓を引き出す読み方をしたことがなかったので、面白く読めた。『学問のすすめ』もそうだが、本書を読んで、改めて福沢が時代から隔絶したプラグマチックな考え方をする人物だったことがよくわかる。

おそらく、「精神」という言葉に「カラリとした」という修辞句を結びつけた初めての日本人は福沢だろう。[略] ほとんどの日本人は、悩むことに誠実さを見いだす。「カラリ」とした湿り気のなさと精神のあり方とを一緒に捉えようという発想がない。そして月に雲がかかったような湿ったメンタリティを好む。新撰組など幕末の志士たちや、源義経など薄幸の者たちへの衰えない人気を見ても、日本人は悲劇のヒーローに対して非常に判官贔屓のクセが強いことがわかる。 私に言わせれば、彼らは近視眼的で血気盛んな青年たちだ。歴史上、それほど重要な役割も果たさなかったこれらの人物をみんなで持て囃す理由がいまひとつ理解できない。弱さや政治的能力の低さをよしとする大人たちが社会を作っているから、現在でも日本人の精神にはドロドロしたものがわるのではないか。[略] 福沢の場合、考え方の根本からして違うのだ。成功している会社の経営者には多い、身も蓋もないほど湿度の低い本物の大人なのである。(p.13)

仕事においても人間関係においても独立自尊の精神に徹していた福沢は、主体性を重要視していた。人の助言も忠告も要らない。自分からも無理にはしない。「血に交わりて赤くならず」の言葉にも通じる信念だ。(p.35)

では、何が福沢の「自分は自分だ」というアイデンティティを支えていたのか。ずばり、"学び続けている自分への自負"である。多くを学び続けることで、他に寄りかからない個としての人格を保つ。それが本当の独立なのだと言う揺るぎない自信が、実に福沢らしい。(p.47)

新撰組や義経を歴史的に取るに足らないという見方を今までしたことがなかったので面白く感じた。

議論というものは、一見、とても有益に思われている。実際、議論の弊害についてはいまでもほぼ気づかれていない。しかし、福沢の中にははっきりと机上の空論を嫌う精神がある。議論して何か得るものがあるのならともかく、ほとんどそれ以外は時間とエネルギーの空費だろうと言うのだ。(p.55)

ほとんどの現代人はおそらく、人に教えてもらう時間を勉強だと思っているだろう。だが学ぶことの基本形は、学ぶべき事柄を定め、自力で徹底してやっていくことにある。それは、いま教育を受けている人がほとんど見落としているポイントだ。他人がしゃべっている間はさして勉強にならないと思ったほうがいい。(p.69)

福沢は様々な漢字のテキストの中でも、特に『左伝』を繰り返し読んで自分の滋養にした。現代の日本では、福沢のように、これが自分の血となり肉になったと言える本を持っていない人がほとんどだろう。[略] 引用できるというのは、それを自在に取り出せるということだ。福沢は『左伝』を何度も読んでいたので、暗記してしまっている箇所がたくさんあった。そのようにして一度覚えた言葉は、生涯にわたる宝になる。何か困難に見舞われたときにその言葉が甦ってきて、自分を勇気づけてくれるのだ。生きるエネルギーを持続的に与えてくれるような、人生にとっての自分の基本テキストを持っておくことはとても大切だ。(p.76)

私は、読む速度も極端に分けている。技化する本の場合はかなり時間をかける。文庫本一冊でも三、四日かけて徹底的に読みこむことが多い。だが、情報のための本は三十分で一冊くらいのペースでこなす。(p.79)

二十歳を超えて作っていく人間関係は、子ども時代の友だちの作り方とはかなり違う。社会人になってからの人間関係は、人から期待されないと増えていかない。人に強く求められる人間ほど、人間関係が広がっていく。実は、人とどううまくつきあっていくか以前に、自分が必要とされている人間になることが社会人としての人間関係のポイントになる。(p.83)

新しいことを始めれば、成功しようが失敗しようが、その経験は必ず人生の新しい扉を開く。やる前の人生と、やってみた後の人生は絶対に違うのだ。何か始めようとすると、横からあれこれ言う人はつきものだ。だがその人が自分の人生の責任を取ってくれるわけではない。そのことは心しておいたほうがいい。福沢は泥舟と見るや否や、瞬時に逃げ出す算段をした。自分が一生懸命マスターしたオランダ語でさえも泥舟だとして切り捨てた。人生を見事にデザインしている。(pp.109-110)

仕事にしても、三年から五年間ぐらい一つの仕事をやったら、そこはかなり気楽な環境になっているだろう。その場所を一種の安住の地にしないためには、いまの仕事を続けながら、新しい何かを始めてみることだ。ここでポイントなのは、何かを始めるためには何かをやめなくてはいけないという考え方は、あまりに日本人的だということだ。(p.112)

福沢は、いついかなるときもまず「相場を知る」ということを重要視していた。大枠のレベルをつかんでから細かな戦略を練るという手順に写る。これは私が大変参考にさせてもらったスタイルの一つだ。私の手元の『福翁自伝』[(p.98)] を見ると、この「相場」という単語が赤ボールペンでぐるぐる巻きに囲われている。思うに、受験などで失敗するのは相場を知らないからだ。[略] 試験を突破するにも、相場をまず把握してそこから何をどの程度勉強するかを考えた方が無駄がない。(pp.114-115)

ここで私たちが覚えておきたいのは、対象の力量を試すのは相場を知るために有益だが、その場合自分の得意なことを中心にして行えということだ。[略] 啓蒙書や専門書、あるいは人物の力量などでも、ある一部分だけえも自分が詳しい項目に焦点を当てて見ていく。得意なところは自分の中で基準がはっきりしているので、そこで見極めれば間違いがない。ともあれ、福沢はこうした大局的見地から押さえていくのを常としていた。細かいところに拘泥しないことも、先ほどの大きな大間違いを起こさない基本方針と一致する。(pp.119-120)

[アメリカに渡るために使えるコネを使った福沢の]このエピソードは、同じく海外渡航を夢見た吉田松陰とはとても対照的だと思う。吉田松陰は、黒船来航の翌年、安政元年に、再来航したペリー艦隊が下田に停泊していた際に沖合まで小舟を漕ぎだし、アメリカに連れて行ってくれるよう懇願した。しかし、幕府の許可を得るようあっさり拒否されて、密航は失敗。国禁を破った吉田は自主をし、従者の金子重輔とともに獄に入れられた。[略] 福沢ももちろん熱意は使うが、ちゃんと足場は作っておいてからである。(p.125)

今ひとつ、熱意もコネを使う技術も不足している感があるので、参考にしたい。

独立性が高いかどうかは、「プロジェクト意識」を持って仕事をしているかどうかでわかる。たとえ小さいプロジェクトでも、新しい企画を生み出し、しかもそれを引っ張っていける人は組織の中にいても独立性が高い。実際、プロジェクト力というものを考えたときに、福沢は相当な能力の持ち主だ。授業料制度、警察制度、銀行等の経済制度、新聞創刊や丸善の創立など、現在にまで影響を与えたアイディアがいくつもある。(pp.138-139)

慶応義塾で学んだ小山完吾の回想記(『ふだん着の福沢諭吉』、慶応義塾大学出版界)によれば、福沢は人の顔を覚えるのが得意だったらしい。[略] 「パブリックメンと云うような世の中のリーダースになる者は人の顔を覚えることが大切なこと」(118ページ)とこの元塾生も解説しているが、福沢は、人の名前や顔を覚えて忘れないことは、交際術として効果が高いこと、効率がいいことをわかっていたのだと思う。福沢にしてみれば、誰か一人をおのすごく愛するよりも、多くの人の名前と顔を覚えた方が全体として大きく愛せる、家族全体を大きくしていけるという感覚があったに違いない。俗に言う友愛や家族愛と同じ感情があったかどうかは微妙だが、こうした愛し方は社交というものを非常に大切にしていた福沢らしい一面だ。その伝統なのか、慶応義塾には交詢社という社交会がある。(pp.144-145)

福沢が歴史に名を残す成功者となった最大の要因は、才能よりも決断力にあったと私は考える。決断はスピードが勝負だ。決断力がある、ないと言うが、経験を積み重ねるほど決断のスピードはアップする。[略] 決断が早くなるのは、経験に裏打ちされた段取りがクリアに見えているからだ。そのために見通しを立てるのが早くなる。当然、決断は狂いにくくなるし、スピードアップする。(pp.172-173)

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