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韓国経済危機

日本のメディアで報道されないので、一応備忘。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110224-00000002-scn-bus_all
韓国版サブプライム危機が激化 世界経済に再び暗雲か
サーチナ 2月24日(木)8時42分配信
 20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で景気回復が話題がなっている最中、韓国が突如として金融危機にみまわれ、世界経済の見通しに再び暗雲をもたらした。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。
 G20パリ会議2日目の2月19日、韓国政府は4つの貯蓄銀行(全州貯蓄銀行、第二釜山貯蓄銀行、中央釜山貯蓄銀行、宝海銀行)に対し、6カ月の営業停止命令を下した。2月17日に営業停止命令を出していた釜山貯蓄銀行とその系列の大田貯蓄銀行を合わせると、韓国政府は短期間に6つの銀行に対して停止命令を出したことになる。

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『座右の諭吉 才能より決断』

『座右の諭吉 才能より決断』
齋藤孝
光文社新書、2004/11/20、¥735(BO ¥105)

福沢諭吉の『福翁自伝』を題材に、そこから人生の教訓を引き出す。
齋藤の読み方ではあるが、『福翁自伝』は自伝と思っていて教訓を引き出す読み方をしたことがなかったので、面白く読めた。『学問のすすめ』もそうだが、本書を読んで、改めて福沢が時代から隔絶したプラグマチックな考え方をする人物だったことがよくわかる。

おそらく、「精神」という言葉に「カラリとした」という修辞句を結びつけた初めての日本人は福沢だろう。[略] ほとんどの日本人は、悩むことに誠実さを見いだす。「カラリ」とした湿り気のなさと精神のあり方とを一緒に捉えようという発想がない。そして月に雲がかかったような湿ったメンタリティを好む。新撰組など幕末の志士たちや、源義経など薄幸の者たちへの衰えない人気を見ても、日本人は悲劇のヒーローに対して非常に判官贔屓のクセが強いことがわかる。 私に言わせれば、彼らは近視眼的で血気盛んな青年たちだ。歴史上、それほど重要な役割も果たさなかったこれらの人物をみんなで持て囃す理由がいまひとつ理解できない。弱さや政治的能力の低さをよしとする大人たちが社会を作っているから、現在でも日本人の精神にはドロドロしたものがわるのではないか。[略] 福沢の場合、考え方の根本からして違うのだ。成功している会社の経営者には多い、身も蓋もないほど湿度の低い本物の大人なのである。(p.13)

仕事においても人間関係においても独立自尊の精神に徹していた福沢は、主体性を重要視していた。人の助言も忠告も要らない。自分からも無理にはしない。「血に交わりて赤くならず」の言葉にも通じる信念だ。(p.35)

では、何が福沢の「自分は自分だ」というアイデンティティを支えていたのか。ずばり、"学び続けている自分への自負"である。多くを学び続けることで、他に寄りかからない個としての人格を保つ。それが本当の独立なのだと言う揺るぎない自信が、実に福沢らしい。(p.47)

新撰組や義経を歴史的に取るに足らないという見方を今までしたことがなかったので面白く感じた。

議論というものは、一見、とても有益に思われている。実際、議論の弊害についてはいまでもほぼ気づかれていない。しかし、福沢の中にははっきりと机上の空論を嫌う精神がある。議論して何か得るものがあるのならともかく、ほとんどそれ以外は時間とエネルギーの空費だろうと言うのだ。(p.55)

ほとんどの現代人はおそらく、人に教えてもらう時間を勉強だと思っているだろう。だが学ぶことの基本形は、学ぶべき事柄を定め、自力で徹底してやっていくことにある。それは、いま教育を受けている人がほとんど見落としているポイントだ。他人がしゃべっている間はさして勉強にならないと思ったほうがいい。(p.69)

福沢は様々な漢字のテキストの中でも、特に『左伝』を繰り返し読んで自分の滋養にした。現代の日本では、福沢のように、これが自分の血となり肉になったと言える本を持っていない人がほとんどだろう。[略] 引用できるというのは、それを自在に取り出せるということだ。福沢は『左伝』を何度も読んでいたので、暗記してしまっている箇所がたくさんあった。そのようにして一度覚えた言葉は、生涯にわたる宝になる。何か困難に見舞われたときにその言葉が甦ってきて、自分を勇気づけてくれるのだ。生きるエネルギーを持続的に与えてくれるような、人生にとっての自分の基本テキストを持っておくことはとても大切だ。(p.76)

私は、読む速度も極端に分けている。技化する本の場合はかなり時間をかける。文庫本一冊でも三、四日かけて徹底的に読みこむことが多い。だが、情報のための本は三十分で一冊くらいのペースでこなす。(p.79)

二十歳を超えて作っていく人間関係は、子ども時代の友だちの作り方とはかなり違う。社会人になってからの人間関係は、人から期待されないと増えていかない。人に強く求められる人間ほど、人間関係が広がっていく。実は、人とどううまくつきあっていくか以前に、自分が必要とされている人間になることが社会人としての人間関係のポイントになる。(p.83)

新しいことを始めれば、成功しようが失敗しようが、その経験は必ず人生の新しい扉を開く。やる前の人生と、やってみた後の人生は絶対に違うのだ。何か始めようとすると、横からあれこれ言う人はつきものだ。だがその人が自分の人生の責任を取ってくれるわけではない。そのことは心しておいたほうがいい。福沢は泥舟と見るや否や、瞬時に逃げ出す算段をした。自分が一生懸命マスターしたオランダ語でさえも泥舟だとして切り捨てた。人生を見事にデザインしている。(pp.109-110)

仕事にしても、三年から五年間ぐらい一つの仕事をやったら、そこはかなり気楽な環境になっているだろう。その場所を一種の安住の地にしないためには、いまの仕事を続けながら、新しい何かを始めてみることだ。ここでポイントなのは、何かを始めるためには何かをやめなくてはいけないという考え方は、あまりに日本人的だということだ。(p.112)

福沢は、いついかなるときもまず「相場を知る」ということを重要視していた。大枠のレベルをつかんでから細かな戦略を練るという手順に写る。これは私が大変参考にさせてもらったスタイルの一つだ。私の手元の『福翁自伝』[(p.98)] を見ると、この「相場」という単語が赤ボールペンでぐるぐる巻きに囲われている。思うに、受験などで失敗するのは相場を知らないからだ。[略] 試験を突破するにも、相場をまず把握してそこから何をどの程度勉強するかを考えた方が無駄がない。(pp.114-115)

ここで私たちが覚えておきたいのは、対象の力量を試すのは相場を知るために有益だが、その場合自分の得意なことを中心にして行えということだ。[略] 啓蒙書や専門書、あるいは人物の力量などでも、ある一部分だけえも自分が詳しい項目に焦点を当てて見ていく。得意なところは自分の中で基準がはっきりしているので、そこで見極めれば間違いがない。ともあれ、福沢はこうした大局的見地から押さえていくのを常としていた。細かいところに拘泥しないことも、先ほどの大きな大間違いを起こさない基本方針と一致する。(pp.119-120)

[アメリカに渡るために使えるコネを使った福沢の]このエピソードは、同じく海外渡航を夢見た吉田松陰とはとても対照的だと思う。吉田松陰は、黒船来航の翌年、安政元年に、再来航したペリー艦隊が下田に停泊していた際に沖合まで小舟を漕ぎだし、アメリカに連れて行ってくれるよう懇願した。しかし、幕府の許可を得るようあっさり拒否されて、密航は失敗。国禁を破った吉田は自主をし、従者の金子重輔とともに獄に入れられた。[略] 福沢ももちろん熱意は使うが、ちゃんと足場は作っておいてからである。(p.125)

今ひとつ、熱意もコネを使う技術も不足している感があるので、参考にしたい。

独立性が高いかどうかは、「プロジェクト意識」を持って仕事をしているかどうかでわかる。たとえ小さいプロジェクトでも、新しい企画を生み出し、しかもそれを引っ張っていける人は組織の中にいても独立性が高い。実際、プロジェクト力というものを考えたときに、福沢は相当な能力の持ち主だ。授業料制度、警察制度、銀行等の経済制度、新聞創刊や丸善の創立など、現在にまで影響を与えたアイディアがいくつもある。(pp.138-139)

慶応義塾で学んだ小山完吾の回想記(『ふだん着の福沢諭吉』、慶応義塾大学出版界)によれば、福沢は人の顔を覚えるのが得意だったらしい。[略] 「パブリックメンと云うような世の中のリーダースになる者は人の顔を覚えることが大切なこと」(118ページ)とこの元塾生も解説しているが、福沢は、人の名前や顔を覚えて忘れないことは、交際術として効果が高いこと、効率がいいことをわかっていたのだと思う。福沢にしてみれば、誰か一人をおのすごく愛するよりも、多くの人の名前と顔を覚えた方が全体として大きく愛せる、家族全体を大きくしていけるという感覚があったに違いない。俗に言う友愛や家族愛と同じ感情があったかどうかは微妙だが、こうした愛し方は社交というものを非常に大切にしていた福沢らしい一面だ。その伝統なのか、慶応義塾には交詢社という社交会がある。(pp.144-145)

福沢が歴史に名を残す成功者となった最大の要因は、才能よりも決断力にあったと私は考える。決断はスピードが勝負だ。決断力がある、ないと言うが、経験を積み重ねるほど決断のスピードはアップする。[略] 決断が早くなるのは、経験に裏打ちされた段取りがクリアに見えているからだ。そのために見通しを立てるのが早くなる。当然、決断は狂いにくくなるし、スピードアップする。(pp.172-173)

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『「1秒!」で財務諸表を読む方法』

『「1秒!」で財務諸表を読む方法』
小宮一慶
東洋経済新報社、2008/2/7、¥1,575

タイトルの種明かしは、財務諸表全体を一秒で読むのではなく、一秒しか見ないならポイントはどこか、ということで、流動比率を見ておけ、という話。それ以外はいたって普通の財務諸表の解説書。日産が投資キャッシュフローをいじった影響は数期先に新製品の停滞という形で出てくる、と言った例を使った話が多く参考になる。

私が一秒だけ、どこかの会社の貸借対照表を見せてくれると言われたら、どこを見るでしょうか?[略] それはズバリ、短期的な負債の返済能力です。企業はたいていの場合、「流動負債」を返済できなくなって倒産します。[略] その流動負債の返済能力を見る指標のひとつを「流動比率」と言います。これを見るのです。(pp.13-14)

安定性の指標として、「手元流動性」という言葉を覚えておいてください。実は、経営的には、これが一番大切です。第一優先順位です。式で表すと「(現預金+すぐに売れる有価証券等)÷月商」です。{略] この比率の特色は、貸借対照表の数字だけで算出できる自己資本比率や流動比率と違い、損益計算書状の売上高と、貸借対照表上の手持ちの現預金との比率を表していることです。[略] 「会社が潰れそうだ」といって、駆け込んでこられる社長がもしいらっしゃるとすれば、[略] 大切なことは、当面の資金繰りです。それを知るのに最も良いのが「手元流動性」なのです。
大企業で1ヶ月分、中小企業だと1.5ヶ月分くらいの手元流動性が常にないと心許ないでしょう。[略] とにかく借金してでもよいから手元流動性を確保することが重要です。(pp.22-23)

「純資産の調達コストは株主の期待利回り」と考えられています。[略] そして、この純資産の調達コストである「株主の期待利回り」は、[略] 「国債金利プラスα」というように計算されます。[略] そしてこのプラスαは、株式の変動率等にもよりますが、数%から10%以上まで、企業によってさまざまです。ですから、資本の調達コストは、優良企業でも最低5%程度はかかっています。(pp.27-28)

現在の企業経営、特に上場企業の経営では、「売上高−費用=利益」という考え方より「売上高−利益=費用」という考え方で経営計画を作る企業が増えています。つまり、想定した売上高から、出すべき利益をまず決めて、売上高からその利益を引いたものの範囲内に費用を抑えるという考え方です。(P.201)

「売上高−利益=費用」という考え方をしなければならないほど、なぜ利益にこだわらなければならないのでしょうか。それは、一つには、株主の発言力が強くなっているということがありますが、他に「経営的に出さなければならない利益」というものがあるからです。(P.204)

私は、売上高は、企業と社会との接点だと考えています。企業が商品やサービスを提供した「対価」なのです。社会でのプレゼンス(存在)そのものだといってもよいかもしれません。[略] 商品やサービスを提供してそれをお客様が買ってくれている結果が売上高ですから、売上高をこれまで以上に上げること、つまりより良い商品やサービスをこれまで以上に提供して、お客様や社会に貢献することに信念を持たなければなりません。(P.207)

コスト削減に関しては、まず、非付加価値活動から手をつけるのが大原則です。お客様に関わる部分から手をつけるとさらなる売上減少や結果として利益減少を招きかねないからです。[略] 本気になってやってみると、ムダや非合理的な非付加価値活動がどの企業でもかなり多いのが分かります。従来のやり方に悪い意味で「慣れ」てしまっている場合や、環境が変化しているのに従来通りにやっているケースも少なくありません。(P.208)

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『本は、これから』

『本は、これから』
池澤夏樹 (編集)
岩波新書、2010/11/20、¥861

池澤夏樹と36名の著者が各々本について語ったエッセーをまとめたもの。『本は、これから』というタイトル通り、電子書籍の普及により紙の書籍が次第に力を失いつつある現状で、これからどのように書籍の電子化に向き合うか、様々な立場の意見が述べられている。紙の書籍を残したい、という思いの著者が比較的多い印象だが、みな電子書籍の影響力には目を瞑ることができない。自分の理解の範囲を超えた出来事を目の前にして、どうしよう、と迷っている様子が描かれている。
ただ、電子書籍を推進している萩野正昭ボイジャー社長のような著者はいるものの、「紙の本なんか絶滅するに決まっている」とはっきり言い切る著者を入れなかったのは、やはり岩波だからか。本当はそういう意見こそ聞きたかったのだけれど。
あと、久しぶりに岩波新書を読んだが、気のせいかいやに書体がよみづらくなっていた。

本というのはまことに特殊な商品で、多品種少数生産とか(少なければ五百部でも作る)、お一人様一点販売とか(ラーメンなら毎週買うのに)、徹底した選別性とか(秋成がないなら西鶴でいい、ということにはならない)、いろいろ制約が多い。(池澤、p.iv)

紙という重さのある素材を失ったために文筆の営みはすっかり軽くなり、量産が可能になった分だけ製品はぺらぺらのものばかりになった。そもそも人類の知の総量が変わるはずがないのだからインターネットによって生産を加速すれば中身は薄まる理屈だ。電子ブックはその一つの段階でしかない。(池澤、p.x)

私流の、「これから発展する国の見分け方」を編み出しました。書店が多数あり、国民が読書にふける国は発展する、というものです。(池上彰、p.13)

出版社にとって本と雑誌は意外に差異がないものかも知れませんが、まったく異なる機能に思えます。一言で言えば本は時空を超えることを目指すけれども、雑誌は反対に情報が位置づけられるべき(使用される)特定の時間、空間ーー場の「現在性」こそを、提示するものである。(岡崎乾二郎、p.52)

大雑把に言ってワタシは、二一世紀というのは、「何を読み、聴き、喰い、経験したか」という、加算的/攻撃的なプロフィールの時代が終わり、「何を読んでなく、聴いてなく、喰ってなく、経験してないか?」という、減算的プロフィールの時代だと思っています。加算的なプロフィールは、不可避的に「知ったかぶり/粉飾申告」という背伸びの強要を生み、結果不安を増大させ、現在というのは、この不安に対する心理的な防御策ばかりが講じられる鬱病の時代ですが、「オレ実は○○は読んで無いんだよね」といった自称が、「そんなもんには興味ないんだよね」といった攻撃性や「読まないと恥ずかしい」といった劣等感と無縁に、単に「自分にはこれが欠けている。それによって自分が構成されています」という、フラットな自己イメージの在り方の一般化として定着したら良いと思いますし、そうなると思っています。(菊地成孔、pp.74-75)

ながらく不思議に思っているのだが、たった一冊の本をたぐりよせられないという日がある。[略] 一種のタイミングではあるのだろう。空振りしたときのことを改めて思い起こせば、そもそも自分のほうに本をつかまえるパワーが足りなかったような気がする。(柴野京子、p.105)

では活版印刷が普及する以前の世界で、本はどのような存在だったのか。それを知るのに格好の本がある。歴史家ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』(柴田治三郎訳、中央公論新社)である。[略] もう一つ、ホイジンガの『中性の秋』(堀越孝一訳、中央公論新社)をみてみよう。(外岡秀俊、pp.119-120)

いっぽうで、書庫は理想の自分を表現しているのであって、けっして読み終わった本の倉庫ではないとも思っている。いつかは買い溜めてある立派な本を読み、本物の知性を身につけたダンディな自分の姿を夢見ているのだ。(成毛眞、p.175)

著者と出版社とアップルなどの電子書籍取次の取り分、端末機器の栄枯盛衰などを机上で想像することは楽しいのだが、ビジネスマンの方法論ではない。さまざまな読者・消費者の行動を合成したものが市場である。それゆえに、将来の市場を予測するためには、その現場たる個々の読者の行動をよく理解する必要があるのだ。(成毛、p.178)

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『万能鑑定士Qの事件簿V』

万能鑑定士Qの事件簿V
松岡圭祐
角川文庫、2010/8/25、¥540(L)

凛田莉子シリーズ第6弾。本巻は莉子のパリ旅行に高校時代の担任がなぜか同行し、パリで高校時代の同級生が遭遇するフォアグラ食中毒事件に巻き込まれる。

莉子の超人振りは相変わらずで、ちょっと勉強しただけでフランス語をぺらぺらしゃべる。普通、外国の警察や一般人とコミュニケーションとれる程度の外国語を学習するだけで相当時間かかるはずだが、そこは万能鑑定士の本領発揮で数日でぺらぺらになる。そこに疑問は許されない。また、外国警察の捜査に外国人観光客がいきなり参加するとか、絶対ないはずだが、そんなことも考えてはいけない。と彼女にはすべてが可能、というのがこの作品世界の掟なのだから。。。

著者の使いたい写真のトリックをうまく当てはめるためというのが、本作の舞台をパリに選んだ理由の一つだと思うが、どうも設定が強引で話について行けなかった。

「ここに三本の棒があったとする。表層はペンキでそれぞれ赤と青と黄う塗り分けられているが、素材は木製または純金製のどちらかだ。もし赤が純金製だったら、貴は木製。一本もらえるとしたら、どれにする?」 「青ですね。条件に合致する組み合わせのパターンは六つ。うち、赤、もしくは貴が純金である確率は三分の一、青は二分の一ですから」(pp.157-158)


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『万能鑑定士Qの事件簿VI』

万能鑑定士Qの事件簿VI
松岡圭祐
角川文庫、2010/10/25、¥540(L)

凜田莉子に最大のライバル登場。万能贋作者雨森華蓮、26歳。華蓮の仕組んだ罠によって、鎌倉の豪邸に招かれた莉子は翻弄され、鑑定士としての自信を失う。

莉子に匹敵するライバルとして華蓮が描かれ、実際途中までは華蓮に押されっぱなしの展開で、とても楽しく読めた。莉子を白とするなら華蓮が黒で、両者とも美人に描かれていて、シリーズの中でも良くできたストーリー。華蓮がちょっとツンデレなエンディングもうまくできていて、今後のシリーズで彼女の再登場を待ちたい。

華蓮の前で氷が溶けさったように、ふいにその表情が和らいだ。「子供は嘘をつく。悪さをして、それをなんとかごまかそうとする。でも、知恵がないから大人にばれる。そんなことを、人生のなかで何度も繰り返す。やがて人は、嘘をつくことで体裁を悪くして孤立するよりは、正直に生きることで社会とのつながりを保つほうが得策だと感じるようになる。それが世間でいう成長ってやつ。じつは躾けられているだけ」 「信頼を育てているともいうけど」 「あなたみたいな人にとってはそうかもね。だけど、考えてみて。幼いころについた嘘が、その子の天才的才能ゆえに、真実としてまかり通ったら?何年か経ってからついた嘘も、やっぱり大人に疑われることなく鵜呑みにされたとしたら、どう?そんなふうに歳月を重ねていったらどうなるか。答えは簡単。詐欺師になる」(p.201)

「一基しかないエレベーターは東芝製だった。つまり…」
「行き先の階のボタンを押した後でも、すばやく二回つづけて押せばキャンセルできる」(p.268)

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