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『電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命』

『電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命』
津野海太郎
国書刊行会、2010/11/26、¥1,890


現在起こっている電子書籍の波を、単にここ数年〜十数年の出来事と考えるのではなく、紀元前三千年に生まれた人類最初の本から、活版印刷技術の発明など数千年の大きな流れの中で捉え、20世紀後半が書物史の中で見ると非常に特殊な時代だったということを明らかにする書物史の本。単に印刷本の問題としてでなく、人類の知識を支える書籍流通、図書館システムなども含め、大きな視点から印刷と電子書籍の関係を論じている。前半は本書のための書き下ろしだが、後半は雑誌のコラムを集めたもので、電子書籍前史ともいうべき構成になっている。

書物史に関する多くの参考書が挙げられているので、将来この問題について勉強するときに本書を起点にして発展させることができるだろう。
また、津野海太郎は晶文社の人だと思っていたので、他社から出版されているのを見て意外に思った。

「千年の目盛りによって」とは、どういう意味なのか。 ようするに、いま私たちがそのさなかにいる変化を、紀元前3000年ごろ、メソポタミア南端の都市国家シュメールで人類最初の本が生まれてからの長い時間のうちにおいてみよう、ということですね。そうすれば、いまのこの変化、つまり「紙と印刷の本」から「電子の本」へと向かう動きが、じつは「書物史の第三の革命」ともいうべき、もうひとまわり大きな変化の一部をなしていることがわかるにちがいない。[略] 「第三」というからには、「第一」「第二」の革命があります。それまで延々と口頭でつたえられてきたことがらを、ついさっき誕生したばかりの文字によって記録するようになった。口承から書記(手写)へ。シュメールの場合でいえば、粘土板に楔形文字でということになりますが、それが「書物史の第一の革命」です。そして長い書記(手写)の時代をへて、印刷技術の登場によって同一の文書をいちどに大量コピーできるようになったのが「第二の革命」ーー。(p.13)

人類の歴史上、これほどケタはずれに大量の本が生産され消費された時代というのはかつて一度もなかった。[略]
1450年 100点
1550年 500点
1650年 2300点
1750年 1万1000点
1850年 5万点
1950年 25万点
2000年 100万点 (p.18)

本と出版の電子化には多くの難所がある。そのうちでもとりわけ大きな難所のいくつかに、21世紀にはいってまもなく、おいついで大きな突破口がうがたれてしまった。[略]
ーーこれまで売り方がわからなかったデジタルデータ販売の方式が現実のものとして提示された。(「iTunes」モデル)
ーー今後は新旧を問わず、人類が生んだすべての本が片っ端からデジタル化され、インターネットに蓄積されていくだろう。(「グーグル・ブック検索」モデル)
ーーそして電子本リーダーはケータイやデジカメ式の頻繁なバージョンアップ、消費者側からいえば買い捨てを前提とした安価な日用品として定着していく。(「キンドル」モデル) (p.64)

結局は、かなり乱暴な見通しにならざるをえないのですが、とにかく私は、いま(2010年夏)、これから本の世界に生じるであろうことを以下の四つの段階にわけて考えているわけです。
(第一段階) 好むと好まざるとにかかわらず、新旧の書物の網羅的な電子化が不可避的に進行していく。
(第二段階) その過程で、出版や読書や教育や研究や図書館の世界に、伝統的なかたちの書物には望みようのなかった新しい力がもたらされる。
(第三段階) と同時に、コンピュータによってでは達成されえないこと、つまり電子化がすべてではないということが徐々に明白になる。その結果、「紙と印刷の本」のもつ力が再発見される。
(第四段階) こうして、「紙と印刷の本」との危機をはらんだ共存のしくみが、私たちの生活習慣のうちにゆっくりもたらされることになるだろう。(pp.66-67)

「いま」の幅をもっと大きくとってみれば、最初にはじまったのが出版危機の側なのは明白です。[略] そこにあとから、印刷とは「異なる原理」(フェーブル)にもとづく電子化の波がかさなってくる。なにも電子化のせいで出版がおとろえたわけじゃない。別々に進行してきた二つの過程が世紀の変わり目に、たまたま、ひとつにかさなっただけ。(p.73)

本の出版量が増えると、それにつれて紙の消費量が増える。たとえば中国の人口は13億人。つまり日本の十倍強。これだけのかずの人びとが、急激な経済成長のはてに、いっせいに日本人やアメリカ人とおなじ量の紙を日常的に消費しはじめたらどうなるか。[中略] そして、そこにさらにインド12億の民が加わってくる紙の原料が木材パルプ。それだけで世界の木材資源はパンクしてしまうにちがいない。[中略] となると解決策は一つしかありません。「紙と印刷の本」の出版量を大幅に減らすことです。(pp.98-99)

たとえば聖書が羊皮紙に手で書かれ、それがやがて活字になりデジタルになる。底で生きつづけているものは「原液」としての聖書であって、羊皮紙とか紙とかデジタルとかの「メディア」じゃないですよね。そう考えると、「原液」という発想は、萩野[正昭]さんが十数年間やってきたことの一つの到達点なんだと思うんだけど。(p.186)

書物とはなにか。いま流通している書物にかぎっていえば、とりあえず以下のように定義することができる。
ー筆記にせよ印刷にせよ、ひとかたまりの文字列や図像をインクの染みとして複数の紙の上に定着し、それらを綴じて表紙をつけたもの。
さらに近代以前にさかのぼれば[略]
ー筆記にせよ印刷にせよ、なんらかの「ひらたい平面」上にひとかたまりの文字列や図像を「色のついた水」の染みとして定着し、それを綴じたり巻いたりしたもの。(pp.192-193)

国際書籍見本市(メッセ)を例にとると、図書館よりもややおくれて、1993年、フランクフルト書籍見本市が、ビデオ、CD-ROM、オンライン・データベースなどの電子書籍物をはじめて市場に受け入れる歴史的決断をくだす。フランクフルト書籍見本市は15世紀末、グーテンベルクの活版印刷術が出現してまもない時期にはじまった。その印刷本の牙城ともいうべき最古最大の国際書籍見本市が、とうとう電子本を書物の一族として正式に認知せざるをえなくなったのである。(p.194)

これまで印刷本には「社会の知の水準を粘り強く保持する」という重い責任が負わされてきた。その責任をこれからは電子本も分担することになる。それがやがて電子本が本の伝統をひきつぐ正当性の根拠となっていくだろう。そのことなしでは、つまりビジネス・レベルだけでは「電子本の時代」はスタートしえない。(p.286)

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