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走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること
村上春樹
文春文庫、2010/6/10

村上にとって、走ることが人生にどのような意味をもつか、小説を書く上でどのような意味をもつか、について語りつつ、マラソンの記録を書いた本。

いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾(はず)み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気を使っても気を使いすぎることはない。(p.18)

店を経営しているときも、だいたい同じような方針でやっていた。店にはたくさんの客がやってくる。その十人に一人が「なかなか良い店だな。気に入った。また来よう」と思ってくれればそれでいい。十人のうちの一人がリピーターになってくれれば、経営は成り立っていく。逆に言えば、十人のうちの九人に気に入ってもらえなくても、べつにかまわないわけだ。そう考えると気が楽になる。しかしその「一人」には確実に、とことん気に入ってもらう必要がある。そしてそのためには経営者は、明確な姿勢と哲学のようなものを旗印として掲げ、それを辛抱強く、風雨に耐えて維持していかなくてはならない。それが店の経営から身をもって学んだことだった。(p.63)

学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。(p.72)

走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるために理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇を見つけては、せっせとくまなく磨き続けること。(p.111)

真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。(p.149)

証明できる部分もあれば、できない部分もある。しかし、世界が今日直面するおおかたのトラブルは、多かれ少なかれグローバル・ウォーミングのせいにされる。[略] 世界が必要としているのは、名指しで「お前のせいだ!」と指をつきつけることのできる特定の悪者なのだ。(p.206)

そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として。(p.252)

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