« 2010年7月 | トップページ | 2010年10月 »

フリー

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
クリス・アンダーソン
NHK出版、2009/11/21

ロングテール理論で有名になった著者の、ネット時代の価格戦略についての新著。
従来型の産業と、インターネット上の情報では、価格の成立の仕方が根本的に違う、という認識に立って、ではどのように事業として成立させるか=収入の道を確保するか、ということを説いた本。
一時期、あまりにも騒がれたので、多分買うほどの価値はないだろうと思って、図書館で借りた。
ロングテール理論が、結局アンダーソンが説いたようにはテール部分が栄えず、むしろグーグル、アマゾンなどインフラを持つヘッドをより太らせる結果に終わったように、フリー理論も、今後の進展を見てからでないと評価できない。

アトム経済においては、私たちのまわりにあるたいていのものは、時間とともに価格が高くなる。一方、御ライオンの世界であるビット経済においては、ものは安くなりつづける。アトム経済はインフレ状態だが、ビット経済はデフレ状態なのだ。(p.22)

消費者が集まるコミュニティがないかぎり、本やビデオや雑誌を出すことは考えられません。結局、物語性の問題なのです。人々は物語の始まりや中盤、結末や筋を知りたがるのです。どこかに購入ボタンがあれば、彼らはときどきそれをクリックして、私たちがまじめに働いていることに対してご褒美をくれるのです。(p.94、アダフルート・インダストリーズ共同経営者フィリップ・トロン)

潤沢な情報は無料になりたがる。稀少な情報は高価になりたがる。(p.130)

これがフリーの成すことだ。十億ドル産業を百万ドル産業に変えてしまう。だが、見た目通りに富が消滅するわけではなく、富は計測しにくい形で再配分されるのだ。(p.175)

ノンフィクション書籍、とりわけビジネス書を無料にする場合は、無料音楽を手本としていることが多い。限界費用の低いデジタル書籍は、限界費用の高い講演やコンサルティング業務のためのマーケティング手法となっている。コンサートのために音楽を無料で提供するのと同じだ。消費者は、著者の全般的なアイデアを無料で得られる。しかし、もし特定の会社や業界、または投資家向けの会議にカスタマイズされたアイデアを知りたい場合は、著者の希少な時間に対して料金を支払う必要がある。(p.214)

<ベルトラン競争>を簡単に言うと次のようになる。競争市場においては、価格は限界費用まで下落する。(p.227)

インターネットとは、民主化された生産ツール(コンピュータ)と民主化された流通ツール(ネットワーク)が合体したもので、ベルトランが頭の中だけで考えた現象を実現した。そう、真の競争市場である。(p.231)

これはムダを受け入れるための教訓だ。カーヴァー・ミードはトランジスタをムダにすることを説き、アラン・ケイがそれに応えて視覚的に楽しいGUIをつくり、それによってコンピュータが使いやすいものになった。それと同じで今日の革新者とは、新たに潤沢になったものに着目して、それをどのように浪費すればいいかを考えつく人なのだ。うまく浪費する方法を。(p.253)

広東ポップの不正配信サイトが、音楽業界から売り上げを奪う一方で人気スターを生んでいるように、不正コピー業者はただたんに他人のデザインを盗んでもうけているだけではない。そのデザイナーのために、コストなしでブランドを広める役目を果たしているのだ。(p.269)

SF作家にはひとつの不文律があるー物理学の法則を破るのは、ひとつの小説につきひとつかふたつまでで、それ以外は現実を踏襲する、というものだ。[略]SF小説のおもしろさは、ルールが変わったときに、人間がどうふるまうかを見ることにあるのだ。(p.276)

今日では、フリーミアム(少数の有料利用者が多くの無料利用者を支えるモデル)が急速に広がっている。(p.293)

ウェブは主にふたつの非貨幣単位で構成されている。注目(トラフィック)と評判(リンク)だ。両方とも、無料のコンテンツとサービスにおいてとても重要なものだ。そして、グーグルのバランスシートを見れば一目瞭然なように、このふたつの通貨のどちらかでも金銭に変えるのはとても簡単なのだ。(pp.296-297)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文学部唯野教授のサブ・テキスト

文学部唯野教授のサブ・テキスト
筒井康隆
文春文庫、1993/7/10

すばる編集部の蒔岡雪子による唯野教授(=筒井)へのインタビュー。
大橋洋一を聞き手にした、筒井による短編小説講義。
ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析。
河合隼雄、鶴見俊輔、筒井による『文学部唯野教授』の特別講義。
以上4編をまとめたもの。

当時流行っていた「一杯のかけそば」は、今まで読む機会がなかったが、本書によってその内容を知ることができた。母と息子二人をスパイにしてしまう分析は、『一杯』の大流行への抗議を、ポスト構造主義分析というベールに包んでファシズムと主張したもので、面白かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アホの壁

アホの壁
筒井康隆
新潮新書、2010/2/20

養老孟司の『バカの壁』のパクりではなく、書かれた本。著者によれば、『バカ』が人と人のコミュニケーションに立ちはだかる壁を暑かったものに対して、『アホ』は個人自身のなかでの良識とアホの間に存在する壁を論じた書、ということになる。

筒井の本は文体がひねくれているので、どこまでが本気でどこまでがシャレなのか理解に苦しむところが多々ある。本書のすごさが自分にはよく理解できない。いや、本書の内容がアホすぎて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不実な美女か貞淑な醜女か

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か
米原万里
新潮文庫、1998/1/1

ロシア語通訳・翻訳家だった米原によるエッセイ。表題は通訳をするときの二者択一、いい加減な訳だが美しい日本語で話す通訳と、正しい訳だがこなれていない日本語を使う通訳のどちらがよいか、を表している。通訳・翻訳をして得た経験談などについて書かれている。

[アメリカ人でギリシャで学位を取得し、今イタリアで活躍する工業デザイナー、ナンシー・マーティン女史の講演内容の引用] こうして、皆様は私の講演を聴きにいらしてくださっているけれど、耳から入る情報の記憶への定着率は、わずか10%です。眼から入る情報の定着率のほうが高く、30%といいますから、これから、スライドをお見せいたしましょう… そして、自ら体験、経験したものの定着率は、最も高く、80%にも達します。ですから、講義を聞いたり、本を読んだりするのもさることながら、ご自身が直接試みることがぜひとも必要です。というわけで、私の話はこの辺で打ち切り、隣のホールで皆様お一人お一人が直接参加されるワークショップのほうへ移っていきたいと思います。(p.136)

[文化・芸術畑のベテランロシア語通訳者として、つとに有名な河島みどりさん] まずは母国語を格調高くしゃべることが大事なんです。雇い主は日本人ですよね。日本人は、例えば私がロシア語の語尾なんか間違えて変なこと言っても分からない訳です。ほんとよ。でもね日本語が美しくキチンとしていると、それを聞いて、あ、この人はデキると思ってくれる。出会い頭最初の瞬間で、この人はスッゴク上手い通訳だという思い込みを相手に植え付けることが大事。不審な目で見られると、通訳って仕事、とってもやりにくいですもの。そのために日本語を美しくすること。常日頃から自分の日本語に絶えず目を光らせて、へんな癖や、「ええと、ええと」とか「あのう」とか「結局」とかいう雑草を意識的に抜いていく必要があります。(p.274)

「日本語をどのように磨いておられるのか」という質問に対して、村松[増美]氏が自分は古典落語の愛好家で、名人が吹き込んだ落語のテープを、飛行機や車での移動時間などに聞いていると答えておられたのが印象に残っている。たしかに落語は、数ある文学ジャンルのなかでも、あくまでも耳から聞き取られることを前提にした話芸である。話し言葉としての日本語の可能性を追求した、ひとつの極致をなしている。(p.275)

第二言語すなわち最初に身につけた言語の次に身につける言語、多くの場合外国語は、この第一言語よりも、決して決して上手くはならない。単刀直入に申すならば、日本語が下手な人は、外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身に付かない。コトバを駆使する能力というのは、何語であれ、根本のところで同じなのだろう。(p.278)

家族連れで外国生活をしてきた家庭の子供にしばしば思考力の不安定なものが見受けられるのは、幼児の外国語教育がもし徹底して行われると、どういうことになるかというひとつの警告とうけとるべきであろう。(外山滋比古著『日本語の論理』中央公論社) (p.279)

ソ連式授業では、まずきれいに読み終えたら、その今読んだ内容をかいつまんで話せと要求される。一段落か二段落読ませられると、その都度、要旨を述べない限り座らせてもらえない。非の打ち所なく朗々と声を出して読みながらまったく内容が頭に入ってこないということは、往々にしてあるもの。ところが、この方式の訓練を受けると、自分の読む速度と理解する速度がシンクロナイズされる。かつ、自分でかいつまんで他人に伝えなければならないから、読み方が立体的、積極的になるという効用がある。(pp.283-284)

日本の首相がアメリカに行ったときに、英語で演説するのを得意げに自慢し、マスコミも盛んにそれを持ち上げる。[中略]しかし、一国を代表する権限を持ってそれをするのは、どうかやめてほしい。宮沢さんであれ、細川さんであれ、村山さんはそんな心配しなくてもよさそうだが、とにかく母国語で達意の発言をして、それをプロの通訳に任せるべきである。べつに通訳の雇用促進の立場からいっているのではない(いや、それもあるか)。国を代表するもの、それが権利でもあるし、義務でもある。(pp.290-291)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年7月 | トップページ | 2010年10月 »