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我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す

我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す
中西秀彦
印刷学会出版部、2010/7/20

業界では有名人の京都にある印刷会社専務が専門誌「印刷雑誌」に連載したコラムを単行本化したもの。
横浜MM21で開かれた印刷機材展会場で、書籍販売エリアを通り過ぎようとしたところ、手で呼び招く怪しい中年男性の姿があり、近づいてみると著者が手売りしていた。
「サインするからどう?買わない?」と言われ、バナナのたたき売りじゃないんだから、と思いつつ、つい買ってしまった。

連載コラムをまとめたものなので、かならずしも書名に沿って一貫した主張がされているわけではない。
著者が日々の経営の中で感じる印刷業界の変化を描いている。中小印刷会社の経営者であれば、誰でも感じているであろう変化や、電子書籍・ネットへの対応についての悩みなどが綴られる。

そのなかで、電子書籍に対する著者の主張は、電子書籍への移行は不可避であるが、抵抗勢力となることで時間をかせぎ、印刷会社はその間に対応をするべきだ、というもの。これは、活版印刷の時代に、オフセットという時代の流れに抵抗して時間を稼ぎ、その間に自社のオフセット化を進めよう、という活版時代の繰り返しをせよ、という処方箋だろう。それがうまく行くかどうかは印刷各社の努力次第、といったところか。まさに前門の虎後門の狼。
著者の会社が活版を廃止したいきさつを描いた『活字が消えた日―コンピュータと印刷』を、弊社の活版廃止に立ち会った当時の工場長が涙を流しながら読んだ頃を思い出せば、印刷会社は何と遠い道のりを、これほどの短期間で駆け抜けたのだろうか、と感慨深くも厳しい時代の流れを感じざるを得ない。

本書の中で、著者の息子が動画ソフトを軽々と操り、文化祭用のビデオクリップを作成するのを見て、慄然とするという記事があった。
かつて、活版活字を信奉していた世代は退場し、オフセット印刷が当たり前になって久しいが、それと同様の世代交代が、近い将来に起こることを暗示して、印象深かった。
生まれたときからPCやネット、携帯や電子書籍が当たり前の世代が成長する今、それ以前に生まれた私たちの世代はすでに時代に取り残されつつあるのだということ、そして、印刷が紙を離れてネットへ対応するには世代の交代を待たなければならないかもしれないということ、を認識しなければならないということだろう。残念だけれど。

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ツイッター 140文字が世界を変える

ツイッター 140文字が世界を変える
コグレ マサト、いしたに まさき
マイコミ新書、2009/10/20

本書はタイトル通り、ツイッターをすることであんなことやこんなことができますよ、という紹介をしている本。が、結局何がいいのかよくわからなかった。
アルファブロガーの著者達にとってはそれが生活の糧なのだからメリットを強調するのは当たり前で、それだけ読まされても、あまり自分にとってどう使うべきかの役には立たない。
自分でもツイッターアカウントは持っているが、本書を読んだあとでも、未だにツイッターを使うメリットを見いだせない。有名人はメリットがあるかもしれないけれど、自分は彼らをフォローしておけば十分という気がする。

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打ちのめされるようなすごい本

打ちのめされるようなすごい本
米原万里
文春文庫、2009/5/10

ロシア語通訳翻訳家だった米原万里の、1995年から2005年までの書評と、読書日記。
本書は、「打ちのめされるようなすごい小説」という項目があるが、それを含め、「打ちのめされるようなすごい本」を紹介するという体裁をとっている。しかし、当然ながら、これだけ多くの本を、しかもそれぞれ米原が「すごい」と思う本を紹介している、本書自身が「打ちのめされるようなすごい本」になっている。
紹介されている本をすべて読みたくなるが、とうてい自分の能力では踏破できないだろう。世の中は不公平にできている。
米原は思想的に左翼で、本書でもそれを感じさせる部分は多々あり、自分とはかなり傾向は異なるが、それを考慮に入れても、読んで良かったと思う。

自身の癌治療法についても様々な関連書の紹介や、自分で試したことを書いているが、これだけ知識も知性もそなえた米原が、怪しげな民間療法に頼ってしまい、命を縮めたように見える。なぜそこまで焦ったのか、気持ちはわからなくはないが、とても残念に感じた。

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文学部唯野教授(再読)

文学部唯野教授
筒井康隆
岩波書店、1990/1/26

自分が持っているのはハードカバーだが、本書を読むのは三度目。一度目は外国語を読んでいるようで全くわからず途中で投げた。二度目は、なんとか筋だけは追うことができた。三度目の今回は、哲学・思想について少しは学んでいたので、ようやく少しは楽しみながら読むことができた。

話の筋自体は単純。小説家であることを隠している唯野教授が遭遇する日々の出来事を描きながら、同時進行的に、大学の授業という形で文芸批評の入門解説をしていく。
同時に、著者である筒井康隆が、時々本書の中に顔を出すことによって、一般的な小説形式を揺り動かす。
また、本書に出てくる有名な大学教授や思想家などは、誰をパロディにしているかがわかる人にはわかるようになっている。自分は全てはわからないが、今回読むに当たって何人かは推測することが出来た。
しかし、本書の意図を読み取るためには、さらに時間をおいて、深く読めるようになってからでなければついていけないことを感じた。

だいたい批評家って人たちは、本来は作家がいるからこそ生きていける人たちなんで、最初から作家に負けてるわけなんだけど、どうしても作家に勝とうとするの。でもやっぱり作家にかなわない。批評家が言われることをいちばん嫌うことばは『そんならお前が小説を書いてみろ』なんだけど、作家は批評家よりもやさしい人が多いから、最近じゃそんなこと滅多に言いません。(pp.227-228)

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柳家喬太郎 講演

10/07/13
演題:「「落語」の噺」
講師:柳家喬太郎
主催:夕学五十講

戦後落語界のおおまかな歴史と、古典/新作落語の違い、名人と言われる人たちの芸風などの話のあと、いくつか噺が披露された。
漫談「コロッケそば」、古典「金明竹(きんめいちく)」前半、新作「孫帰る」。
その後、金明竹を例として笑いのパターンとしてのオウム返し、主人/小僧/客などを話すときの向きについての解説があった。喬太郎自身は、「かわり目」を最も好きな噺の一つとして挙げた。

ほんのわずかではあったが、生の落語を見るのは初めてだったので、非常に興味深く聞いた。
また、今回は落語に詳しい人やファンクラブの人たちも多く参加していた一方で、自分のようなまったく落語を知らない参加者も多かったので、講師としては話しづらい環境の中で、うまくまとめていたと思った。

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沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ4〉

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ4〉
夢枕獏
徳間文庫、2010/03

〈巻ノ4〉では、楊貴妃伝説の謎が明らかになるとともに白楽天の長恨歌(ちょうごんか)の由来も明らかになる。空海は密の奥義を極め、逸勢とともに、本来20年の留学期間のところ、わずか2年で帰国の途につく。

結局、最後まで、安倍晴明と源博雅が唐に旅して事件を解決してかえってきた、という感覚が抜けなかった。そこだけが残念な小説だった。

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沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ3〉

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ3〉
夢枕獏
徳間文庫、2010/03

〈巻ノ3〉では、密教の本山青龍寺恵果和尚と、猫妖怪が、順宗皇帝を巡って呪法合戦を繰り広げる。一方、空海は楊貴妃伝説の謎を追ううち、阿倍仲麻呂が関係していることを徐々に知る。

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沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ2〉

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ2〉
夢枕獏
徳間文庫、2010/2/5

〈巻ノ2〉では、楊貴妃伝説が出てくる。また、綿畑の妖怪の謎を追ううち、阿倍仲麻呂に行き着く。

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沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ1〉

沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ1〉
夢枕獏
徳間文庫、2010/2/5

804年、沙門空海が遣唐使の一員として密教の奥義を学びに唐に渡った。同じ頃、唐の都では猫の妖怪が出るようになる。

〈巻ノ1〉では、空海が国際都市長安を歩き回り、ペルシア人と仲良くなったり、遊郭のようなところにいったりする。その後、猫の妖怪と語り合うところまで。空海とは別に、綿畑から妖しいものが起き上がってきたりする。
空海は、大抵彼と共に唐に渡った橘逸勢(はやなり)と行動を共にする。逸勢は一種の狂言まわしの役で、『陰陽師』における安倍晴明と源博雅の関係に相似している。むしろ、『沙門空海』は、『陰陽師』の舞台をそのまま長安に移したものといっても差し支えないくらい似ている。夢枕の語り口が、中国だからといって特に変わっている訳ではないので、しばしば、安倍晴明と源博雅が長安で事件を解決していると錯覚した。
話の内容は非常に面白く、〈巻ノ4〉まで一息に読んでしまうくらいだったので、人物造形の点で、空海のキャラが晴明とかぶってしまい、少し残念。

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これならわかる! 哲学入門

これならわかる! 哲学入門
富増 章成
PHP研究所、2008/5/13

プラトン、アリストテレス、デカルト、カントから仏教、老荘思想まで、いろいろな譬えを使ってわかりやすく説明する。

本当にそれで正しいのか、と言われると著者の解釈に乗った上での理解になるから確実とは言えないが、概略を知るにはいいやり方だと思った。
ニーチェの「力への意志」が、ショーペンハウアーから導かれていたところなども、わかりやすく説明されていた。
自分では、『マトリックス』を使ったロック・ヒュームのイギリス経験論の章と、パース・ジェイムズのプラグマティズムを占いで説明する章が興味深かった。

ロックの経験論では、認識論が展開された。ロックによれば、人間の心は白紙(タブラ・ラサ)の状態で生まれてくる。いっさいは経験によって獲得される。経験こそ知識のすべての基礎である。これは、デカルトが生まれたときから与えられているとする理性の力への信頼を逆なでするような立場なのだ。(p.84)

「存在するとは近くされることである」この世界は、知覚されているときだけ存在している。つまり、マトリックスだったのである。(p.91)

「人生は生きるに値するか」の答え。それはまさに「人生は生きるに値するから値する」というポジティブなもの。ジェイムズはそういう考え方で人生に臨もうと諭すのである。(p.290)

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「嫌消費」世代の研究

「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち
松田 久一
東洋経済新報社、2009/11/13

日本人の消費動向を、世代に分けて分析し、バブル以降のバブル崩壊世代、少子化世代に下るに従い、使える分だけ使わない、消費性向が低くなっている、と種々のデータをもとに明らかにする。
「クルマ買うなんてバカじゃないの?」という刺激的なキャッチでひっかかった。いわゆるバブル崩壊後世代が、厳しい時代を経験し、特に就職氷河期が決定的に彼らの心理に影響を与えている、というのはある程度納得できる。消費性向が低くなっていく世代的傾向が強まっていくことで、次第に経済の運営が難しくなっていくだろう、というのも考えうる未来だと思う。
ただ、消費性向が低いのは、現在の将来の不安定な現状では仕方がなく、また、消費しないことがクールだ、という認識がアメリカなどで模倣されている、というあたり、消費しないことが「悪」である、とも一概にはいえないし、そのあたりで根本的な認識の転換が求められているのかもしれない。
では、そこでどのような解決策を導くか、ということになると本書の歯切れもあまりよくない。

結局、その時その時の状況の変化に応じて対応する、という無難な結論に落ち着くといったところか。

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現代語訳 論語と算盤

現代語訳 論語と算盤
渋沢 栄一 (著), 守屋 淳 (翻訳)
ちくま新書、2010/2/10

渋沢栄一が、ビジネスと孔子は矛盾せず、一体として考えるべきだ、という主旨で書いた著作を、現代語訳したもの。
仕事をする上で、道をはずさないようにしなければならない、というのはごく当たり前のことで、改めて考え直せと言われればそうなのかもしれないが、今の自分にはあまりピンとこなかった。

時間をおいて、再読してみると、また違った意味を見いだすことが出来るかも知れない。

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ザ・取り立て

ザ・取り立て
別冊宝島編集部
宝島社文庫、2000/1/1

取立屋の論理、債務者の言い分、債権回収の攻防、商工ローン地獄の各章から成る。ちょうど日栄商工ファンドが問題になった頃、不動産融資総量規制に始まるバブル崩壊が本格的になった頃の債権回収を巡る事象を関係するそれぞれの立場から描いている。
発刊から10年経っているので、やや古くなっている部分もあるが、実際本書に書かれたようなことを経験していたので、今も冷静では読めなかった。

こと金になると人間を変えられる。金のないのは首のないのと同じ、と心底思い、貸した金を取り立てられないときは自分の首がなくなる、と考える。首がなければ生きていけない。だったら、金を取り立てる。すべてこの精神よ。そしたらヤクザだろうが何だろうがいっこうに怖くない。ここまでが金貸しとしての基礎だね。(総合街金株式会社、p.114)

午後二時、水田は、車を運転して会社へ向かった。車中、公共職業安定所に電話を入れ、これから手数をおかけします、と会社が倒産したことを伝えた。そのほか、商工会や町長など今後世話になりそうなところに電話をかけた。会社には債権者に対する説明会の件を伝えた。午後五時半に町役場の会議室に集まってもらうことにした。(ある連帯保証人の悲劇、p.153)

最初は、善人ぶって同情するそぶりを見せていたが、最後は「隠しているお金を二百万円払えば許してやる」と言い始めた。しかし、水谷は、自己破産を申請する弁護士の費用すら持ち合わせていなかった。倒産に遭遇して、いろいろな人から知識を吹き込まれた。離婚を勧められたり、街金に手形が回らないうちに逃げろと忠告されたり、家財を隠せと助言されたり、知り合いの暴力団を紹介すると言われたことさえあった。こんなとき、本当に役に立つのは、正しい知識を持った相談相手である。そして最後に必要なのは、やはり自分の強い意志だった。[中略]四月二十二日、水田は、弁護士を頼まず自分の手で個人の自己破産申し立てをした。費用は二万円足らずだった。(ある連帯保証人の悲劇、p.156)

銀行とつきあうなら、分相応の銀行とつきあえと黒田氏は言う。中堅企業ならば成長を見守り、冒険にもある程度の理解を示してくれる地方銀行。中小企業なら金利は多少高いが、地元に密着し、トラブルが発生しても逃げ道がなく、言い訳も通用しない信用金庫、信用組合とのつきあいを深めろとアドバイスする。あるいは政府系金融機関を上手に利用する方法も知るべきだ。(ドキュメント「銀行被害」、p.164)

銀行は、もはや昔の銀行ではなくなったようだ。審査らしい審査もせず、貸すだけ貸して、今度は強硬かつ非情ともいえる回収である。やはり、冒頭の初老の男性が言っていた、「銀行員が来たら聞く耳を持つな。印鑑や書類は隠せ」という言葉には真実味があったのである。(ドキュメント「銀行被害」、p.183)

損失補填は、いまだ違法なものではなかったからである。偉そうなニュースキャスターを抱えるテレビ会社も、社会の木鐸だと自画自賛する新聞社も、株が下がればどうしてくれると証券会社を脅かして値下がり分を補填させたのだから、ヤクザが、「世間様」のやることをやらないはずがなかった。(かくして、エスタブリッシュメントとアンダーグラウンドの新たな均衡点が出現した!、山口宏、弁護士、p.318)

中小零細の経営者の仕事の大半は、資金繰りである。取引の細かいことは下の者に任せられても、資金の手当てだけは「社長」がしなければならない。こうして「社長」は一日中、金のことで頭がいっぱいになる。午後六時を過ぎても、金の心配が消えることはないが、とりあえず、足はネオン街に向かう。こうすることでしか、金のことを忘れられない「社長」は、寿司屋にホステスを呼び、依然として馬鹿高い勘定のクラブなるものに同伴する。今時、なぜそんなムダな金を、と一般人は思うが、一種の健康維持代らしい。(山口宏、弁護士、p.320)

二十世紀は、市場経済が飛躍的に発達した時代であったが、それと同時に、マーケットシステムに不可避的に伴う恐慌が繰り返された歴史でもあった。周知のように、それを解決したのは、何回かの戦争である。満ち足りているのであれば、破壊しなければ、需要は発生しない。これに代わる決定的な代替策がなければ、やがて、軍産複合体の悪夢が再び世界を覆うことになるのは必至のように思える。主要マスコミが、核廃絶や対人地雷廃棄の言論は野放しにしても、兵器産業全廃の言論を巧妙に封殺しているのは、そのための準備なのかも知れない。(山口宏、弁護士、p.327)

だが、私は過去の倒産から学んだことがあります。それは"逃げてはダメだ"ということです。若い時代の一回目、二回目はともかく、三回目の倒産で逃げたことが、どのくらいその後の人生にマイナスになっているか。逃げずに、踏みとどまっていれば、新聞配達などの回り道はしなくても新しい道が開けたはずです。債権者のみなさんの前に出て、頭を下げて、私を生かしてください、と誠心誠意お願いすることだ、と考えました。(逃げも隠れもしないで、堂々と借金を棚上げに成功する方法、pp.337-338)

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