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坂の上の雲(8)

坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)
司馬遼太郎
文春文庫、1999/2/10

バルチック艦隊を討ち漏らし、ウラジオストックに数隻でも逃げられてしまえば、日本海の物資輸送が困難になり陸軍が最終的には孤軍となって敗北する。そのため、ロシアとの講和に持ち込むためには、何があっても全滅が絶対条件となっていた。その中で、待機中長期にわたって訓練をつんだ日本海軍の射撃精度は非常にあがり、結果として日本側の主要艦船は沈まず、日本海海戦でロシア側はほぼ全滅となった。
戦後真之は精神のすべてを使い果たしたかのようになり、49歳で亡くなり、好古は、71歳まで長命を保った。

確かに全編を通じて明治日本への愛を感じる筆であり、坂を上る様をうまく描いたとは思うし、これならば人気があってしかるべきと思う。が、事実に基づいているとはいえ、小説であるからには、著者の思想や人の好き嫌いによって傾きはあるし、それが司馬史観といわれるものなのだろうが、その点を注意して読まないと、圧倒的な筆致に飲み込まれてしまう。特に、第3巻子規の死亡以降ほぼ完全に戦争小説になって、血湧き肉躍る世界になるので、左翼的な人にはなかなか受け入れられない作品になるかもしれない。反面、乃木・伊地知を始め何人かの中心人物を批判的に描いている点で、右翼的な人からも受けいられれない作品でもあるかもしれない。ただ、司馬も述べているとおり、明治国家を描くための中心点として日露戦争を描くと決めた以上、やむを得ない展開であるとはいえる。そして、坂の上に雲を見た後は、急坂を下って日本の敗戦へまっしぐら、という筋書きになるのだろう。

大変楽しく読んだ。世間的にいつも人気ランキングトップにくる作品とのことだが、自分的人気ランキングNo1かというとそこまではどうだろうか、といったところ。司馬作品が初めてで、司馬の筆遣いに慣れないからということもあるかもしれず、再読すればもう少し印象は変わるかも知れない。それでも、これだけ感想を書くほど力を入れて読ませるのだから、自覚していないだけでかなり面白いのだろう。

[この戦勝がアジア人の地位をあげるものとして自信をあたえたのは事実だが、中国人などはまだアジア人としての意識が希薄だったためあまり反応がなかった。]ただヨーロッパにおける一種のアジア的白人国[ハンガリー、フィンランドなど]は敏感に反応し、時刻の勝利のようにこの勝利を誇った。さらにはロシア帝国のくびきのもとにあがいているポーランド人やトルコ人をよろこばせた。また元来日本びいきである南米のチリーやアルゼンチンのひとびとをよろこばせ、この海戦から時をへたこんにちなお、アルゼンチンなどは同国の大使が東京に赴任するごとに横須賀の記念艦三笠を訪問することがなかば恒例のようになっているほどである。(p.274)
戦争が遂行されるために消費される膨大な人力と生命、さらにはそれがために投下される巨大な資本のわりには、その結果が勝敗いずれであるにせよ、一種のむなしさがつきまとう。「戦争というのはすんでしまえばつまらないものだ。軍人はそのつまらなさに堪えなければならない」という意味のことを、日本の将軍のなかでもっとも勇猛なひとりとされる第一軍司令官黒木為楨が、従軍武官の英国人ハミルトンに言ったというが、この場合のロジェストウェンスキーの役割はその最たるものであったかもしれない。(p.278-279)
民衆はつねに景気のいいほうでさわぐ。むろん開戦論であった。この開戦への民衆世論を形成したのは朝日新聞などであった。学者もこれに参加した。(あとがき2、p.318)
戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年jのちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。(あとがき2、p.321-322)
まず旅順のくだりを書くにあたって、多少、乃木神話の存在がわずらわしかった。それを信奉されているむきからさまざまなことを言ってこられたが、べつに肯綮にあたるようなこともなかったので、沈黙のままでいた。日露戦争後、旅順は地理的呼称をこえて思想的な磁気を帯びたようであり、その磁気はまだ残っている。(あとがき4、p.329)
かれ[乃木]の最大の不幸は、かれの参謀長として少将伊地知幸介という能力も協調性もひくい人物をあてがわれたことであった。(あとがき4、p.336-337)
子規のあかるさは、そういうところにあったであろう。かれは開明期をむかえて上昇しつつある国家を信じ、らくらくと肯定し、自分の壮気をそういう時代気分の上にのせ、時代の気分とともに壮気がふくらんでゆくことにすこしの滑稽感もいだかず、その若い晩年において死期をさとりつつもその残されたみじかい時間のあいだに自分のやるべき仕事の量の多さだけを苦にし、悲しんだ。(あとがき5、p.349)
その戦勝はかならずしも国家の質的部分に良質の結果をもたらさず、たとえば軍部は公的であるべきその戦史をなんの罪悪感もなく私有するという態度を平然ととった。もしこのぼう大な国費を投じて編纂された官修戦史が、国民とその子孫たちへの冷厳な報告書として編まれていたならば、昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されて涜武の行為をくりかえし、結局は日本とアジアに十五年戦争の不幸をもたらしたというようなその後の歴史はいますこし違ったものになっていたに違いない。(あとがき6、p.363-364)

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