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坂の上の雲(6)

坂の上の雲〈6〉 (文春文庫)
司馬遼太郎
文春文庫、1999/2/10

黒溝台まで進んだ日本軍にロシア軍が攻撃を加える。好古は、騎兵偵察で得た情報で司令部に警告を送り続けるが、司令部は無視する。情報戦を軽視したため、陸軍は窮地に陥るが、ロシア側の判断ミスでかろうじて危機を逃れる。バルチック艦隊は様々な状況に翻弄され、航海が順調にいかない。公使館付武官明石元二郎は、諜報員として、豊富な資金をもとに、ヨーロッパ全土でロシア革命派を支援する。明石の活動開始後、ロシアでは革命運動が活発化し、社会治安の悪化とともに日露戦争継続への厭戦感が高まる。鎮海湾で待機する連合艦隊は射撃訓練など準備に余念がない。バルチック艦隊はインド洋を通過する。乃木軍を加えた陸軍は奉天を目指し、決戦は近づく。

この巻は、決戦へ向けて日露それぞれが準備をととのえていく様子を描くとともに、明石による諜報活動に大部分を費やしている。日英同盟で後顧の憂いをなくした日本が、ヨーロッパで同情を買って、外交的な部分でロシアよりも有利な立場にあったことや、ロシア帝政が腐敗しきっていることが明石の活動を成功せしめた、と司馬も述べている。が、この時代、これほど大きな諜報戦を日本が仕掛けていたというのは初めて知ったことでもあり、その能力があったことに驚いた。

日清戦争後、子規が従軍記者として大陸に渡った際、陸軍下士官が中国人に略奪行為を働いた、という描写がドラマであった。某局の日本悪玉描写はいつものことながら、太平洋戦争時の話ならばまだしも、この点につき、前後の脈絡からはずれて非常に違和感があった。そこで、本書を読む際、気をつけて読んでいたところ、子規の従軍部分ではその記述はなく、また、本巻では、下記の記述があったので、やはり小説に基づかない脚色であると思わざるをえない。また、ドラマにあった、子規が森鴎外に出会った、という点も、小説には記述を見つけることができなかった。

日本人が日清戦争や北清事変を戦ったとき、軍隊につきものの略奪事件は一件もおこさなかったということが、世界じゅうのおどろきを誘った。さらには戦時国際法に馬鹿まじめすぎるくらいに忠実であったということも、あるいはまたヨーロッパの知識人のなかにあるサムライ伝説というものも、明石の信用を援助した。(p.166)

また、当時日本の新聞が国際感覚に欠け、情報分析能力がなく、日本の方向を誤らせたことをp.217〜p.220で主張している。
明石の諜報活動が成功し、ロシアで革命活動が活発になったとき、日本の東京朝日新聞は正確な分析をせず、戦争を利するはずの革命活動に反対する記事を掲載した。

もし日本がヨーロッパ的水準の国ならば、日露開戦前後に、新聞記者がロシアの政情と社会についての情報とその分析を提供しておくべきであった。[中略]それにしても敵国の状態について不勉強すぎるであろう。そういう無知が、この見出しの感覚にも出ている。この見出しは、ロシア皇帝に対して同情的であり、革命勢力に対して多分に反感をもっていることがうかがえる。(p.218)
帝政ロシアの皇帝制(ツァーリズム)と明治日本の天皇制を同性質のものとしてとらえる捉え方の無知については、この明治三十八年一月二十五日の記事の見出しをつけた編集者をわらうことができない。その後昭和期にいたり、さらにこんにちなお、一部の社会科学者や古典的左翼や右翼運動家の中に継承されているのである。(p.218)
ついでながら、この不幸は戦後にもつづく。戦後も、日本の新聞は、ーロシアはなぜ負けたか。という冷静な分析を一行たりとものせなかった。のせることを思いつきもしなかった。(p.220)
もしそういう冷静な分析がおこなわれて国民にそれを知らしめるとすれば、日露戦争後に日本におこった神秘主義的国家観からきた日本軍隊の絶対的優位性といった迷信が発生せずにすんだか、たとえ発生してもそういう神秘主義に対して国民は多少なりとも免疫性をもちえたかもしれない。(p.220)

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