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言葉の冒険、脳内の戦い

言葉の冒険、脳内の戦い
笙野頼子
日本文芸社、1995.07(図書館)

 笙野頼子は、1981年に最初の文学賞を受賞してから、1992〜1994年にかけて三つの大きな賞を受賞するまで、約10年間の長いスランプを、ほぼひきこもりのようにして自らの言葉の実験をくり返して過ごした。笙野の文学的テーマは、「幻想と現実の輪郭を見定めること」であるが、それは表象の限界に挑み、語り得ないことを語ることでもある。 語り得ないものを言葉というできの悪い表現手法で語ろうとすれば、それは内的な葛藤を乗り越えていくしかない。「[文学とは]作者から読者へ、お互いの生活や感情や知識や記憶を媒介として手渡すべき、思考実験の成果である。実験である以上、あるテーマについて整然とは語りたくない。むしろ論理の歪みや矛盾や葛藤を手がかりに描いていく。語り得ないものを無理に語る。」(p.34)そしてそのような文章は、自らを純粋言語というサイボーグと化し、「いったんは文章の世界の深海のような、あるいは真空宇宙のような広いところを、機械と化して通過してこないとだめだ」(p.36)と笙野は語る。
 笙野は、前衛ジャズを聴くことが趣味のようで、ドリーベーカーや小山彰太について書いているが、言語に対する諦念は、音楽評論の一文にも現れる。「評論の出来ない人間が文章で他者を描写すればどんな書き方をしても結局悪意になってしまうのだとライブハウスについてからその日完全に判った。演奏する体に、汚い言語で、横から音楽の営みを切り取りにくる人間は害虫といえる。」(p.139-140)
 小説家がここまで深く言語を思考している、ということがわかるエッセイ集。

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