« 生きて死ぬ私 | トップページ | 魂の労働 »

ディベートの良さ

 「エッジモント高校は、ディベート界の慣行に従い、自主的に情報開示をしている。つまり、次の試合でどのような論理展開をするか、対戦チームが問い合わせてくれば喜んで教えるということだ。裁判の法廷と違い、相手に奇襲をかけるのが目的ではない。なるべく実体のあるエビデンスを集め、厳密なディベートを実現しようという発想だ。
 ミシガン州立大学のディベートチームの副コーチ、ジョシュア・ゴンザレスによれば、ディベートの良さはまさにこうした点にある。
『ディベートの試合では、扇動的な議論が飛び交うことはあまりなく、中身のある討論がされています。左派勢力は、ディベーターたちに見習い、右派勢力の扇動的なレトリックに惑わされないようにするべきです。左派が支持している政策には、かなりの根拠があり、それらは米国の大多数に受け入れられるようなものだと思います。現政権や保守勢力、それにフォックス・ニュースがどれだけ憤慨と激情を煽ろうと、長い目で見れば、優れた思想が生き残るんです。熱心で、能力があり、堅実な支持者さえいれば。少なくとも、私はそう願っています。私たちは、そういう能力のある人材を育成したいとおもっているんです』」
─「政界の大物を生む『高校ディベート』の世界」『クーリエ・ジャポン』2006.12.21、p.40

これがディベートの理想の姿ですね。

|

« 生きて死ぬ私 | トップページ | 魂の労働 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ディベートの良さ:

« 生きて死ぬ私 | トップページ | 魂の労働 »